ゲスト 江國香織さん

 

アシタノカレッジ 2022年1月21日

 

基本の感情

武田砂鉄:僕は以前、河出書房という出版社に勤めていたんですけれども、『文藝』という雑誌がありまして、その編集局にもちょっといたんですけれども、2010年に江國さんの特集が組まれまして。

江國香織:お世話になりました。そのとき。

武田砂鉄:いやいや、僕、そのときには編集部の端っこでチョコンとしてたんですけど、このカバーの表紙が傘を差している江國さんで、この傘をコンビニに買いに行った記憶が私にはあります。

江國香織:はあ。それを買ってくださったのが武田さんだったんですね。ありがとうございます。

武田砂鉄:いやいやいや、その節はお世話になりまして。

僕、先週、来週、江國さんがいらっしゃいますという告知をしたときに、これは10年前ですけれど、「江國さんが小説を書く上で一番大切にしている感情は何ですか?」と聞いたときに、即座に「さびしさです」と答えたというのを僕はすごく記憶していて、久しぶりに『文藝』の特集を読み返して、江國さん言ってたよなと思ったら、書いていないんですよね、そんなこと。僕はなんでそう思ったのかわからないが、すごく覚えているんです。「さびしさという感情がすごく大事で、しかもそのさびしさというのは、漢字で言うとサンズイに林だと」。それは江國さんはおっしゃった記憶はありますか。

江國香織:あります。ただ、小説を書くのに一番大切にしている感情という質問では、私の記憶ではなくて、自分の基本の感情というふうに聞かれた。ずっと昔に同じ小説家の角田光代さんに聞かれたんですよね。角田さんが「私は怒です」と。「喜怒哀楽の中でどれが自分のベースですか?」と角田さんがおっしゃって、本当に力を込めて「私は『怒』です。怒りがあるとエネルギーになる」というふうに彼女はおっしゃったんですね。私は喜怒哀楽で何かなと思ったら、喜怒哀楽からちょっとはみ出しているんですけど、『淋』という字かなと思って、それを答えた覚えはあるんですけど。

武田砂鉄:それを僕はどこかで聞いてたんですね。

それは、なんでご自身のベースの気持ちで淋しさが一番強いんでしょうか。

江國香織:なんでなんだかわかんないんですけどね。でも、すぐ淋しくなっちゃうんですよ。すぐ。そして、淋しいと安心する感じもあって。怒ることもあるし、うれしいことも悲しいこともあるんですけど、それはずっとは続かないじゃないですか。戻ってくると、戻ってきた場所が淋しいんですよね。だから、私にとってわりとそんなに悪いことでもないんですけどね、淋しいって思うことは。

武田砂鉄:つまり、淋しくて辛いとかということよりも、淋しいという感情が安定というか、戻ってきちゃう。

江國香織:安定ですね。わりと自分の記憶では、子どものころからそうだったんです。そうですね。

 

9歳のときの私

武田砂鉄:江國さんのこれまでのいろんなエッセイなどを読ませていただくと、自分は現実よりも言葉を信じるんだということを書かれていて、それは例えば具体的に言うと、「サクッとしたビスケット」というのが売っていたときに、実際のビスケットよりも「サクッとしたビスケット」という言葉を信用して、サクッとしてない、つまり、言葉のほうが重きを置かれる。

江國香織:そう。お菓子のパッケージに書いてある言葉も、サクとかトロとか、それを見ると、すごくおいしそうじゃないですか。もちろん宣伝文句だからね。あ、これおいしそう!っていっぱい読み比べて買うわけですよ。これよりこれがおいしそうって。そして、そのときに想像した「サク」なら「サク」、「トロ」なら「トロ」を超えない,よ。絶対に。

武田砂鉄:それは日々、日夜頑張ってるんだとは思いますが、なかなか超えてこない。

江國香織:もちろんそうですよね。

武田砂鉄:ご自分の中ですごい「サク」が。

江國香織:お店の人だとかお菓子屋さんが悪いんじゃないんですけど。もちろん。でも、言葉で喚起されるものがたぶん大きいんでしょうね。言葉に、なんだろう、言葉が好きなせいもありますけどね。でも、考えてみると、私は実際に海を生まれて初めて見たのがいつかよく覚えてないですけど、写真でみると、2歳とか3歳とか。でも、それより前に絵本で海を見てるんですよね。その絵本には砂丘も出てくるんですけど、砂丘っていうものも、砂丘って何かずっと知らなかったけれども、砂丘という言葉と、それはディック・ブルーナの絵本なんですけど、ブルーナの描いた砂丘の絵は、生まれた年にその絵本を買ってもらってるので、ずっと実物より先にイメージがあった。それから何十年生きても、「砂丘」って言われると、やっぱりブルーナの描いた砂丘が出てくるとか。言葉が単純に先なんですよね。だから、友情とか恋愛とかも、小説で読んだり、映画で観たり、実際に自分が経験するより前に言葉でイメージしてみて、言葉の外に出られない気が時々するんです。言葉の外にみんなどうやって出るのかなって。

武田砂鉄:それは、本当に、『文藝』でインタビューを僕が横で聞いていた時にも「9歳の子どもである自分が常に批判的に問いかけてくる」というようなことをおっしゃっていて、それはまさにその頃に読んでいた本、今おっしゃっていた絵本であるとか、当時感じた気持ち、感情みたいなものが常に今でも問いかけてくるという感覚というのはあるんですか。

江國香織:ありますね。そして、9歳の時の私は、たぶん私にとって一番手強くて、わりと世の中を批判的に見る子どもだったんです。それなので、今、時々自分の、もう大人になった後の振る舞いを9歳の彼女――彼女って私ですけど――が見たら、渋い顔をするだろうな、とか、がっかりするだろうか、とか、ちょっと怖いですね。