朝井リョウ×武田砂鉄

 

アシタノカレッジ 2021年4月2日

 

(朝井さんがハロプロ好きということで モーニング娘。の『I WISH』が登場前にかかる)

 

武田砂鉄:『アシタノカレッジ』金曜日、ライターの武田砂鉄です。今日は、作家の朝井リョウさんとリモートでつないでおります。よろしくお願いします。

朝井リョウ:よろしくお願いします。

武田:初めましてでございますね。

朝井:そうなんですよね。よろしくお願いします。

 

 

リモートが苦手

武田:初めてでこうやってリモートで話すわけですけど、リモートはすごい苦手だと何かでおっしゃっていましたね。

朝井:そうですね。やっぱ顔がずっと映っているっていうのが、どうしても……。顔って、情報量、何で顔だけそんなに多いの?って思いませんか。

武田:それは自分の顔ですか。今、僕の顔が映ってるということですか。

朝井:いや、世の中の話。世の中の話というか。

武田:日ごろね。もっと全体的な話ですね。

朝井:そうです、そうです、そうです。

武田:確かにそうですね。

朝井:そうなんですよ。例えば、目と鼻と口の位置で、こんなに好き嫌いが分かれたりとか、体の中の部位が2~3個集まっている場所って、ほかにもあるじゃないですか。膝とかもそうだし。

武田:確かに。

朝井:なのに、なんで目と鼻と口だけ、こんなに翻弄されるんだろうって、すごい思うんです。人間の顔。

武田:確かに、もっと分散されてて、今の顔の部分に目だけあって、鼻がお腹のところにあって、口がもっと下のところにあったりとかしたら、かなり分散されますよね。リスクというのか、なんというのかね。

朝井:わかります。美醜の話とかもきっともっとうやむやになるなと。顔だけなんでこんなに情報量があるんだろうなというのはずっと思っていたのが、たぶん、リモートでいろいろな人と顔だけ突き合わせた状態で話すことによって、すごい克明に感じるようになってしまって。

武田:確かにそうですね。

朝井:そうなんです。

武田:その一部分に全てが集中してるからこういうことができてしまうわけで、本当はもっと顔が分散されていれば、リモートでやろうなんていうことは思わなかったわけですもんね。

朝井:そういうこととか、あと、本出していると――。なんかいきなりベラベラ喋って申しわけないんですけど。

武田:どうぞ、どうぞ。

朝井:私、山崎ナオコーラさんがすごく大好きで、最近、山崎さんも無理だとたぶんご本人も思いながらも性別非公表とおっしゃっていて。

武田:そうですね。されていますね。

朝井:その気持ちがすごくわかって、本読んでるのに、その人の顔がわかっちゃうだけで、何歳ぐらいの、肉体的な性別がどっちかなんだろうなっていうのが、すごい情報としてものすごく大きく入ってきちゃうなというのはすごく感じるところがあって、それに山崎ナオコーラさん、今からでも抵抗しようとしてるんだっていうところにすごい感銘を受けるんですよね。

武田:それは、でも、感銘を受けつつも、どうでしょう、朝井さんが10年間やられてきて、いろんなメディアに出られて、もしそこの違和感を持ったとしても、もう戻せなくないですか? 戻す方法というのがね。

朝井:そうなんですよ。だから、すごく小さな抵抗で、できるところは「顔写真載せなくてもいいですか?」とか一応やってみてはいるんですけど、顔の情報がどれだけ小説とか作品に影響するかっていうのを自覚しないままに過ごした10年間っていうのは本当に大きくて長かったなと今になって思います。

 

どういう感じで受け取られるのがベターか

武田:僕、この1週間すごい後悔していることがあって、1週間前に「来週のゲストの方はこの方です」っていう1~2分があるんですけど、ちょっと時間が余ってたものなんで、朝井リョウさんのことをお会いしたこともないのに「すごく感じの良さそうな人ですよね」(朝井:アハハハ!)っていうふうに言ったことを、帰り道に、なんて無責任なことを言ったんだって思ったんですよね。

朝井:感じがいい可能性低いですからね、小説家。

武田:でも、そうしたら、ツイッターをパラパラ見てたら、「いや、そんなことないですよ」っていう、感じがいいということはないですよ、みたいなこともお書きになってる方がいて。

朝井:あ、さすが。

武田:でも、僕はこうやって直接お話しする前、高橋みなみさんのラジオとかもたまに聴かせていただいた時にも、感じのよさみたいなことは感じてたんですけど、「感じのよさ」というその言い方自体もかなり漠然としてるから、失礼しちゃったなと思ったんですけど。

朝井:いや、でも、うれしいです。

武田:感じは、どういう感じで受け取られるのがベストというか、ベターなんですか?

朝井:いやあ、ほんとですよね。私、ラジオをニッポン放送で4年ちょっとやらせていただいた時に、ラジオをすごい聴いてきたということもあって、自分が聴いてきたラジオの形に自分を合わせてしまうんですよ。

武田:うん。

朝井:間があっちゃいけないとか、背中を斬り合うような会話をしなければいけないんじゃないかとか、なんかそういうこと勝手に思ってしまって、自分が思っているラジオの形に合わせて喋っているところがあったので、ラジオを聴いてくださっている方にはそういうふうに思われているほうがベターなのかなっていうふうに思います。いきなり相手の背中を斬るようなことを言って、驚かれても困るので。リスナーの方々に。

武田:はいはいはいはい。

朝井:ラジオではそういうことを言う可能性もある人なんだなぁみたいな。メディアによって、こう、なんていうんですかね、ラジオで果たさなければならない役割とか勝手に考えてしまうところがあるので、場によって受け取っている印象がそれぞれ変わっていたらいいなって思います。

武田:いや、僕、それを朝井さんがこういうふうに公の場でおっしゃるのはなかなかすごいなと思って。

朝井:はあ……。

武田:例えば、結構シリアスな小説を書かれた後に、いやあ、僕、実はもっと馬鹿っぽいエッセイ書いてバランスとりたいんですよとかっておっしゃるじゃないですか。

朝井:うんうんうん。

武田:それって、あまり表に出ないところで、例えば編集者とかに、「ちょっと今回シリアスにいったんで、ラフなものいきたいです」みたいなことを言ってるのは、僕も昔編集をやっていたので、言うのはわかるんですが、それを公にすると、要するに、戦略みたいなものがひとまずバレるわけじゃないですか。全体に。

朝井:そう……うん、そうですねぇ。

武田:よくそれができるなっていうふうに思うんです。つまり、あいつ戦略家だよって思われやすくなっちゃうじゃないですか、それって。

朝井:そう……まあ、でも、戦略家……そうです……うーん、なんだろう、いろんな種類のものを書いて、次どんなものを書く人かあんまりわかんない、みたいな人になりたいっていうのはあるんですよね。だから、あんまりそれが、戦略っていうよりは、結構憧れを言っているみたいな、次、全然違うものを書きたいっていうのを。恩田陸さんとか、本当に次、どんな小説を出すか、毎回想像がつかなくて。SFもファンタジーも青春もミステリーも何でも書かれる方だから、何でも書くと、どれだけ顔写真が出ていても、結局、作者のことがよくわかんなくなるんじゃないかなっていう、そういう気持ちがあるんだと思います。

 

隙をつくりたい

武田:エッセイに、二十歳ぐらいのころまでは、よく人に話しかけられていたと。今、全然話しかけられなくなって、隙をつくりたいというようなことを書かれていましたけど、僕は、自らそうやって隙をつくらないようにしてるんじゃないかなっていうふうに見えたりもしますけどね。

朝井:ああ、でも、そういうふうにもすごく言われることはあります。それ、『横道世之介』という小説に出てきたフレーズで。

武田:吉田修一さんの。

朝井:すごいその小節が好きで、最後に横道世之介が隣人から「変わっちゃったね」って言われるシーンで、「隙がなくなった」っていうふうに言われるシーンがあって、そこがすごく、表現としてすごく素敵で、ある種魔法が解けたみたいな描写を「隙」っていう言葉で表現することによって、すごく汎用性があるというか、誰にでも当てはまるシーンになってるっていうのがすごくいいなと思って、言ってみたかったんですよね。

武田:(笑)

朝井:使ってみたかったんですよね、その言葉を。

 

「○○やめるってよ」

武田:デビューからもう10年経たれて、デビュー作で『桐島、部活やめるってよ』っていう作品でデビューされましたけど、『桐島、部活やめるってよ』っていう、これをもじった言い方ってすごくいろんなとこでされるじゃないですか。例えば、「○○大臣、大臣やめるってよ」みたいなことがツイッターとかで流れるじゃないですか。

朝井:はい。

武田:あれっ、どう見てるんですか、ご本人は。

朝井:私は、さっきからいろんな人の言葉を引用しまくってて、ちょっとずるくて申しわけないんですけど、テレビで松任谷由実さんが「詠み人知らずの歌を書きたい」とおっしゃっていて、「誰が作ったかとかわからなくていいから、曲だけ残ってるっていうのが理想」っておっしゃっていて、私にとってはそれが、「○○、何々やめるってよ」というフレーズだけ何か残って浮遊してしてくれたら、文章を書く人間としてすごくラッキーというか、そういう一行が残るっていう可能性ってすごく低いと思うので……。

武田:確かにそうですね。これから80年後ぐらいになって、朝井さんがいなくなった後にも、あれ? これ、「○○ってよ」っていうやつって何だっけ?みたいな振り返り方で、そのフレーズだけ残ってる可能性ってかなりありますよね。

朝井:可能性になんかすごい、賭けてるっていうわけじゃないんですけど、一つの作品が丸ごと残るって、時を超えた名作を書かない限り発生しないと思うんですけど、今のところ、このフレーズまだ10年残ったなっていうのがあるので、どれだけ残るか見てみたいっていう気持ちがあります。

武田:今このフレーズの膨張とそして定着って、なんかすごいスピード感だったなと思うんですよね。外から見てて。

朝井:やっぱ使いやすかったんですよね、きっとね。とっても。

武田:そうですよね。

朝井:はい。本当にいろんな人が。それこそ週刊文春さんに使っていただいた時は、文春さんはそこに付箋を付けて郵送してくれるんですよ。

武田:ああ、そうなんですか。使いましたって。

朝井:そう。こういうタイトルに使いましたって。

武田:送ってもらってもね。なんだよっていう。

朝井:びっくりです。すごいご丁寧にって思います。

武田:それは別に断る権利もないというか、もう印字されているわけですからね。

朝井:そうです。そうです。

武田:じゃあ、出版社の方は、使ったら一応朝井リョウに1部送ると。

朝井:送っていただいて、もうどうにもならない状態で届きます。

武田:(笑)

 

なぜ『正欲』という小説を書いたか

武田:今回、10周年ということで、2作、朝日新聞出版とそして新潮社で、『スター』という作品と『正欲』という作品を書かれましたけれども、今回、新潮社から、正しいに欲と書いて『正欲』という作品を書かれましたけれども、そもそも、正しいに欲ではなくて、いわゆる性別の性、性欲についても、かなりずっと書きたいというふうにお考えになったというのをインタビューで読みましたが、それどういう思いがあったんですか。性欲に対しての書きたいという。

朝井:今回の作品のテーマというか、もともと……すいません、なんか、もともとどういうところから書きたいかっていうところにつながってくるんですけど、自分の中にあるわからない部分に対してのハードルをすごく下げたいなっていう気持ちがあるんですね。特にここ最近、私の中で。

今、この一年で社会の状況もすごく変わって、自分てこんなに寂しいんだとか、人と会ったり話したりとかするタイミングが減って、こんなに寂しいんだ。この寂しいっていう気持ちって人に言っていいんだっけ?とか、自分が今すごく不安定な状態にあることを人に明かしていいんだけ?って思うことがすごく増えたんですね。ここ最近。そこのハードルが高いままだと、今後もっと、自分の中にある今まで知らなかった部分とかわからなかった部分をないがしろにし続けるっていうことが続くと、すごくなんか怖いことが待ってるような気がしていて。個人的に。

自分の中にある、いつもわからない、結局つかめないものっていうものの象徴的なものが私にとっては性欲だったし、本当に人ってずっと性の話してるなって思っていて。

武田:そうですね。

朝井:ねえ。どの年代でも結局、性の話をしてる気がしていて、なんかやっぱりわからないんだなと思うんですよね。みんな自分の中にある性欲について結局ずっとわからないのかなっていうのは思っていたので、そのあたりからずっと書きたいなと思っていました。

武田:しかも、そういった自分の欲望というのはあんまり人に話さないし、その欲望自体が、この本のわりと通底するテーマだと思いますけれども、自分の欲自体がカテゴライズされてるとは限らないっていうところがあって。

朝井:はい、はい。

武田:カテゴライズされている中から探し出して、ああ、これかなっていうふうに、たぶんそれこそ、自分が中学生の時に、誰かがちょっとエッチな本持ってきて、どれに興奮するかみたいなことを言った時に、あいつはこれだけど俺はこれだっていうふうに思ってやんややんや騒いだりするんだけど、でも、そこにある何かはもう素材として提供されてるものだから、もしかしたらそれが自分の何かの欲と対応してるとは限らないという。ただ選んだだけってことがあるわけですよね。

朝井:そうですね。で、どんどん周りの人は常に世の中に溢れているものと自分の中にある欲望を合致させている中で、あ、まだない、まだない、まだないっていう状況がすごく長く続いていくということ。それは性的な欲求以外のことにも当てはまると思うんですけど、自分はどういう人間になりたいのかとか、そういう欲求かもしれないし、どういうことを学びたいのかとか、そういう欲求かもしれないし。欲求についてきちんと、全然書き切れてはないんですが、書いてみたいなという気持ちはずっとあったんですよね。

 

武田:でも、ご自身でも、最近YouTube で食べ物を食べてる動画をよく見てしまうんだと。

朝井:はい。

武田:それは、結構新しく気づいた欲というのか、自分はこういうものに、興奮というのか、見入ってしまうんだってことを発見されたみたいなことをお話しになっていましたけれども。

朝井:そうですね。

武田:そういう気づきもあったんですね。

朝井:それはちょっとお気楽な例ではあるんですけど、既に世の中でASMRと呼ばれるジャンルの動画がたくさんはやっている中で、あ、こういうものがあるんだと思っていろいろ見てみたら、なんにも家出なくていい日とかは、ずっと見ちゃう日とかがあったりとかして、これってどういう、何と合致しているんだろう、今、自分の中のっていう。

武田:それは、ずっと見ちゃうというのは、2時間なのか、6時間なのか、10時間なのか、どういうずっとなんですか。

朝井:足すと、6時間ぐらい見ている日とかもあるんです。ぶつ切りにしたもの全部足すと。

武田:はいはいはい。

朝井:っていう日もあったりとかして、怖いですよね。

武田:それは、6時間見ているときの4時間ぐらいっていうのは、まだいくぞっていうか、なんか自分の中での、それを見ていることでの安定感みたいなものがあるんですか。

朝井:何でしょうね。なんか止まれなくなっているような気持ちはあるんですけど、でも、本当にこれはすごくお気楽な例ではあるんですが。

今回は、世の中に既にあるものに呼び覚まされた自分の内なるもの、みたいな、今の話はそうなってしまうんですけど、もともと自分を司っているもの、自分の行動をすごく司っているものが世の中に全く存在しないというか、ほかに同じように司られている人が存在しないっていう状況……。

すごい難しいですね。小説の話を後からしようと思うと、結局足りないんですよね。小説ですごく長い文字数を使って書いたことを口で説明しようとしても、なんか。

武田:それは、僕は朝井さんのエッセイで読みましたけど、なぜこの小説を書いたのかというのを聞かれるのが一番苦手だと。

朝井:あ、ありがとうございます。

武田:今、10分前にそれをやったから、苦手なんだろうなと思いながら、今、画面を見ていましたけどね(笑)。

朝井:そうなんですよ。だから、全部大味になってしまいますし、後からどんどん自分で後付けしちゃうので、小説家の悪い部分、自分で筋をつくって、あ、この筋なら通るというのを喋りながらやっちゃうので、それは本当に難しい。よくないなと思います。

武田:難しいですよね。でも、なんか、それは、こういうふうに問いかけると、答えて、そこの箱にきちっと詰め込んで返そうというふうにされるから、でも、その箱を詰め込んだものと、実際のこの小説として出来上がった箱が、実はもちろん違うものだし、ということですよね。

朝井:そうなんです。この場を成立させようっていう思いが先行しちゃうので。箱を作っちゃうんです。この場が成立するための。

武田:そうですよね。それは自分もいろいろインタビューに答えてて、よくそういうふうに思うことはありますけど、なんかうまく合致できねえもんかなと思うんだけど、まあ、ずれますよね。

朝井:いや、本当に。しかも、今、生放送って、よけい箱をちゃんとしなきゃっていうふうにどうしても思ってしまうので。でも、ちょっと頑張ります。すいません。

武田:頑張りましょう。頑張りましょうっていうか(笑)。

朝井:(笑)

武田:互いに頑張りましょう、みたいな。

 

多様性について

武田:本の中身については、そこまで大きくは語らないほうがいいかなとは思うんですけれど、1つ「多様性」という言葉がすごく大きなキーワードになってきて、ここは読んでもいいと思うんですが、始まってすぐのところに、多様性というのは都合よく使える美しい言葉ではない。自分の想像力の限界を突きつけられる言葉のはずだと。

多様性、という言葉が生んだものの一つに、おめでたさ、があると感じています。自分と違う存在を認めよう。他人と違う自分でも胸を張ろう。自分らしさに対して堂々としていよう。生まれ持ったものでジャッジされるなんておかしい。清々しいほどのおめでたさでキラキラしている言葉です。

というような、結構、多様性についての強い言葉というのがフレーズとして出てくるわけですけれども、これもなかなか語りづらいかもしれないですが、「多様性」っていう言葉っていうのは、使いやすいけれど、そう簡単に向き合える、答えの出せる言葉ではないですよね。

朝井:そうですね。なんでしょうね。私、本当に風見鶏みたいな人間なんですよね。なんか答えっぽいものが提示されると、すぐにそれに寄っかかってしまうというか、ていう部分が本当に大きくて、ここ数年、多様性という言葉を聞く機会がとても増えて、どこか万能の解のような響きを持つような使われ方が、私が見聞きする中では多かったんですね。あらゆるものの解として提示されているような気がすることが多くて、それで多様性という言葉に対していろいろと寄りかかっていく自分がいたりとかしたんですけど。

この1年で、一時期、一時期というか、今でもステイホームという言葉が、それこそ万能の解かのように唱えられた時期というのがあったと思うんですね。私自身もその時、ステイホームなんだと思って、ステイホームしようと思って、いろんなものを買ったりとか、家にいられる状況を整えられるようにいろいろ動いたんですよ。

で、家にいられる状況が整って、ステイホームになりましたと、その時は解のように聞こえていた言葉にちゃんと座ることができたっていうふうに思ったんですけど、後から、例えば、それによって家庭ゴミが増えることとか、清掃業者の人が実は大変なことになっているとか、流通はすごく大変なことになったとか、万能の解だと思って座った場所からは見えない景色がすごいあるっていうことが大体後からやってくるんですよね。自分がすごい調子に乗って、これが解なんだと思って座った場所って、一見解っぽいんですけど、全然見えてないところがあってというのの繰り返しが人生だなと思っていて。

「多様性」という言葉も、私はいろんなものの解のように聞こえている時期があって、そこにすごく座りたい気持ちがあった自分を、すごいぶっ叩きたいというか、すごく高揚してしまって、解のようなものに対して盛り上がってしがみついてしまうところがあるので、そういうところから危ないなと、自分に対して思うというところはありますよね。

武田:今おっしゃった「ステイホーム」というのもそうだし、あるいは「お家」という言い方もものすごくされるようになって、僕はなんかあまり好きな言葉じゃないんですけれど、でも、そういった「お家」にしろ「ステイホーム」にしろ「多様性」しろ、そういう言葉があることによって非常に座りやすくなったというか、心地よく暮らせる人が増えたという実際のところがあるんだとすると、そこに対して、いや、どうなんですか?というふうに突っ込んでいく人が、非常にラディカルに見えるという現象があって、それをわざわざ選択しなくてもいいんじゃないかと思って、たぶん何も言わない人が多いと思うんでしょうけれども、でも、それは言葉とかその状態に対して、「本当にそれはいいことなのかな」っていう疑問はもっと持ってかなきゃいけないんだろうなっていうのは、この小説を読みながら考えましたけどね。

朝井:いやあ、そう言っていただけるとすごいありがたいんですけど。発売して1週間ぐらいたつ時期なので、やっと自分とちょっと距離感があいて、作品との距離感があいて、再考とか最終的な修正をしていた頃には見えてなかった問題点とかが、今、距離があいたことによってすごい見えるようになって、ああ、今、あそこ書き直したいなと思うところもいっぱいあるんですけど、難しいですね、本を完成させるというのは本当に。

 

共感と困惑

武田:今回、新潮社から本を出されていて、新潮社のツイッターを見ていたら、宣伝のPOPに、「共感と困惑が入り乱れている」というようなPOPが立っていて、僕は「共感」という言葉はあんまり好きじゃないんですけど、共感と困惑が入り乱れてるっていうことがわりと特別な――。人の出版社のPOPにケチつけるもあれなんですけど(笑)、共感と困惑が入り乱れてるっていうのって別に僕特別なことじゃないと思うんですよね。

朝井:うん。

武田:そもそもベースとして共感と困惑って入り乱れてると思うので

朝井:はいはい。

武田:それを何か特別なこととして宣伝文句にするのはちょっと違うんじゃないかっていうのを、でも、たぶん『正欲』を読み終われば、そこに気づく人も多いんじゃないかなって、ちょっと思っちゃいましたね。

朝井:うーん、そうですね。私も共感――共感て、今ある形を撫でてあげるみたいな。私自身もそういう気持ちで手に取る本もたくさんあるんですよね。今の自分を安心させてほしいみたいな気持ちで手に取る本っていうのもすごくたくさんあるし。なんですかね、今、やっぱり、なんだろうな、これも言葉がすごく難しいんですけど、なんだろう、共感できなかったっていうことが、その作品があまり面白くなかったっていう評価に繋がることもすごく多いような気がしていて、出版社としてのエクスキューズとして、共感を求めて手に取ったら満足できないかもしれませんよっていう

武田:あ、なるほどね。

朝井:エクスキューズもあるのかもしれないですね。

武田:でも、僕は、どんな読書体験でも、個々人が困惑した状態で、困惑同士がそこら辺を泳ぎ渡っている状況でいいんじゃないかなって思うんですよ。別に読書をした人が肩組む必要というのはないんで。

朝井:はい。

武田:そういう意味では、この『正欲』を読み終わった後の困惑っていうのは、すごくそれぞれ違った歪な形をしてるというか、読んだよねの後の感覚がそれぞれ違ってて、すごく。だからこそ対話をしたくなるっていう内容なのかなとも思いましたけどね。

朝井:そうです。ありがとうございます。私も、本を読む時って、どちらかというと自分の頭の外にあるものに触れたいというか、共感して安心してというよりは、うわあ、こんな言葉知っちゃった、こういうふうにここを言い表されちゃった、みたいなことを感じたくて本を手に取ることが多いんですけど、でも、なんかやっぱりそれって結局出版業界の中にいるからなんだろうなあとも思うんですよね。もっと、千何百円出したんだから、現実逃避もちろんしたいだろうし、なんて言うんですかね、お金払ったんですけど困惑させられましたけど、みたいな人の気持ちもすごいわかるというか。

武田:ええ。

朝井:そうなんですよね。そこはいつもなんか迷います。

例えば、最近、入院した友人がいて、その友人に本をみんなで、暇だろうからということで、本をセレクトしたんですけど、この時に選ばれる本というものを書いたほうがいいんじゃないかとも思ったんですよ。

武田:入院のときに限られた本の中の一冊でありたい。

朝井:そこに入る本て、困惑を授けるものではないかもしれないなとは思ったりとかする時もあったりします。

武田:なるほどね。

 

比喩表現について

武田:朝井さんは、日常の会話にも比喩が多くて疲れるって言われることがあるっていう話を聞きましたけど。

朝井:そうです。

武田:僕は、でも、朝井さんの本を読んでて、比喩表現というのが素晴らしいなと思うことが多くて。

朝井:(笑)

武田:この『正欲』と対抗の『スター』という作品の中にも、ある箇所で、「その判子さえ押してもらえれば処理できる書類をずっと抱えていたかのように、母がスッキリとした表情で台所から出てくる」という比喩とか

朝井:(笑)

武田:『正欲』という本の中に「海水浴から上がったままの体で人の車に乗り込むような無遠慮な視線」というふうに書いてあって

朝井:ハハッ(笑)

武田:これは、なんかなかなか……。でも、「海水浴から上がったままの体で人の車に乗り込むような奴」っていうのはいるんだけれど、それとも「無遠慮な視線」というのは、たぶん今までつながったことがなかったと思うんだけれど、こういった比喩表現というのは1発で探し当てられるんですか。それとも、5発6発撃ってこの1発にしようっていうふうに搾り取るんですか。

朝井:今改めて声に発していただいて思ったんですけど、長いですね、私の比喩。ほんとに(笑)。

武田:僕はこういうくどいのが好きなんで

朝井:くどかったですねぇ(笑)。

武田:こうやって声に出して、例えるのに例えのほうが長くて、まさにそれこそ困惑させるけど、「その判子さえ押してもらえれば処理できる書類をずっと抱えてたかのように母がすっきりとした表情」っていうのは、今まで見たことのない表情なはずなんだけど、あれねって思えるっていうのは凄いなあと思うんですよね。

朝井:私、本当に比喩を、これはいろんな編集者の方から、あと、自分でも思うんですけど、比喩って、とっておきの時に入れるから輝くっていう。

武田:そうですねよ。

朝井:ねえ、そうなんですよ。私、本当に気抜いたら、就活の時にエントリーシートでめちゃくちゃ比喩書いてて

武田:ああ。

朝井:めちゃ添削されたりしてしまうぐらい、癖(へき)なんです、たぶん。楽しくてやっちゃってるところがあって。

武田:それは、その場を盛り上げようと思っているんですか。それとも、自分の体内にある気持ちを、よりちゃんと輪郭化させるために比喩を使っているんですか。

朝井:輪郭化がたぶん強いと思うんですけど。だから、たぶん、本当に人にわかってもらいたいっていう独りよがりな思いがすごい出てるんだと思います、そこに。

武田:なるほど。でも、それは、うまくいっていないわけでしょう(笑)、それを人に伝えるという日常会話で。

朝井:そうなんです。だから、小説の中でも、文章全体のことを考えて、ここで引き締めるぞという比喩じゃないわけですよ。数撃つぞ、みたいな感じで。今、朗読でされて、すごい嫌でしたもん。長げーっ!と思って。

武田:(笑)

朝井:まだ例えてるよって思いましたから、今。びっくりしゃいましたね。

武田:じゃあ、でも、それは、常に比喩を考え続けてきたら、テキストを書く時にはわりとスラスラ出てくるわけですね。

朝井:そうなんです。そうです。パソコンに向かってる時は、結構サーッと出てくるから、今、気持ち悪いなと思いました(笑)。サーッと出てきてんじゃねーよって思いましたね。

武田:でも、それは、僕、こういうふうに読者として、ここがすごくよかったですというふうに伝える比喩というのは、まだ恥ずかしいで済むけれど、例えば編集者と話してて、ここの比喩、本当に寒いんですけどとか、ここの比喩全く機能してないですよって言った時には、かなり折れますね、これはね。

朝井:大声を出しますね。

武田:(笑)それしか対応ないですね。大声を出すぐらいしか。

朝井:ないです。ない。大きな声を出して、感情を……。

武田:それでもチャレンジする。

朝井:だから、癖(へき)なんですよ。チャレンジというか、もうやっちゃってるんですよ。だから怖いですよね。

武田:でも、それで、いやあ、朝井さん、今の僕のように、「いや、この比喩最高でしたよ」って言われたときには、よし、この癖(へき)をまた強めていこうというポジティブな気持ちで向き合えちゃうわけですか。

朝井:無意識のところで、やっぱりこれでいいんじゃんと、たぶん今、調子に乗ったので、たぶんまた強くなっちゃうでしょうね、今ので。

武田:また強くなっちゃう(笑)。

朝井:(笑)

武田:そのバランスを保ちたいけど、やっぱり癖(へき)が。

朝井:そう。文章全体として、ここで比喩を入れたほうがいいってできるのがベストですよね。

武田:でも、僕は、いつでもどうでもいいことを考えている人がすごく好きなんで

朝井:ハハハッ!

武田:この本の中でも、紅白歌合戦のくだりがあって。

朝井:ああ。

武田:さんがけん玉をやるのを

朝井:(笑)

武田:後のほうで、けん玉をやっていた人たちが最後のほうに出てきて、最後までずっといたんだっていう、この描写、別に要らないだろうっていうのが

朝井:要らない(笑)。

武田:出てくるんだけど、でも、やっぱりこの見方をするのが大事だなっていう。三山ひろしのけん玉をやっていた人が、その後どこまで紅白に付き合ってたかっていう観点は、僕は紅白を観る上では非常に重要だと思うので、そういうところを見ると興奮しますよ、こっちは。

朝井:すごく救われました。要らないなって思ったんで、今、自分でも。救われました。

武田:いえいえいえ。

あっという間にお時間がきてしまいまして、そろそろお時間となってしまいました。

朝井さんの最新小説『正欲』。正しいに欲と書く『正欲』は新潮社から発売中です。

朝井さん本日はありがとうございました。

朝井:ありがとうございました。