週刊映画時評『あの頃。』

 

アフター6 ジャンクション ムービーウォッチメン 2021年2月26日

 

山本匠晃アナウンサー:ここからは宇多丸さんが劇場の最新映画を評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、松坂桃李主演、ハロプロを愛した男たちの青春物語『あの頃。』です。では、宇多丸さんお願いします。

 

ライムスター宇多丸:さあ、ここから、私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で観賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、2月19日から劇場公開されているこちらの作品。『あの頃。』

『♡桃色片想い♡』♪

宇多丸:すげぇ曲だよな、これな。

劔樹人さんの自伝的コミックエッセイ『あの頃。男子かしまし物語』を松坂桃李主演で映像化した大人の青春物語。

うだつの上がらない生活を送っていた劔は、松浦亜弥が『♡桃色片想い♡』を歌う姿を見て、ハロープロジェクトのアイドルに夢中になる。やがて、個性豊かなハロプロあべの支部の面々たちと知り合った劔は、くだらなくも愛おしい青春の日々を謳歌するのだが……ということでございます。

松坂桃李のほか、仲野太賀や山中崇若葉竜也さんなどがハロオタを熱演。あとは、ロッチのコカドさんが、後に「赤犬」のボーカルになるイトウことタカ・タカアキさんを演じられております。監督は、『愛がなんだ』などの今泉力哉さんが務めたということでございます。

この映画をもう観たよというリスナーの皆さん、ウォッチメンからの感想をいただいています。メールの量は、めちゃ多い。出ました、今年最多ということでございます。

賛否の比率、褒めの意見が7割弱。

褒める意見として多かったのは、ハロプロ好きだったので当時のことが懐かしく、またディテールの再現度にも驚いた。アイドル好きに限らず、何かに猛烈にのめり込んだ事がある人には刺さる、とか、過去を懐かしむのでなく、今を肯定するメッセージが素晴らしい。俳優陣はみんないいが、中でも仲野太賀が良かったなどがございました。絶好調ですね。

一方、ストーリーが貧弱。後半から退屈してしまった、とか、「あの頃」の日々が全然楽しそうじゃなく羨ましくもない。ホモソーシャルな描写が強すぎて抵抗があった、などの批判の声もありました。これなかなか重要な指摘もあるので、後ほどしっかり紹介しますね。

まずは良かったという方のメール。すごいいっぱい来ててちょっと紹介しきれない。

(メール紹介)

山﨑さんの首の角度とか、声の発声とか、完コピぶりもすごかったですけどね。

(メール紹介)

これ、ああ、なるほどというか、結構うなずける指摘もあるし、この作品に対していい解釈をするならば、要するに、ある人物のものすごく嫌な一面というのも、すごく嫌な人でもあるよねというような見方,というふうに響く映画でもあるっていうかね。両面がある(こと)を描いている映画ということは言えるのかもしれないですけど。でも、スルーし難い重要な指摘だと思ったのでご紹介させていただきましたと。

ということで、皆さん、メールありがとうございました。本当に熱量があるメールでございました。

私も、『あの頃。』 TOHOシネマズ六本木で2回見てまいりました。入りはまあまあといったところでしたけど、男女比、年齢分布ともに、ジャンル的に特定のしづらい感じが非常に印象的でしたけどね。

ということで、モーヲタシーンを描いた云々に関しては、番組オープニングでも話しましたので、みやーんさんの公式書き起こしもぜひそこからお願いしますという。

原作があるわけです。非常に奇妙極まりない映画企画。これがなぜ成立したのかというと、まずは劔樹人さんによる原作、漫画というのがあると。『あの頃。男子かしまし物語』というのが2014年にイースト・プレスから出ていて。これは漫画と文章が一緒になった、これは、ご本人もあとがきで書かれていますけど、杉作J太郎さんの一連の作品、特に『やぼてんとマシュマロ』とかあたりですかね。に近いスタイルですね。

実際、僕、最初に『あの頃。』という原作本を読んだときに感じたのは、これは俺らの世代にとっての『さらば、ワイルドターキーメン』なのかなという。これは、杉作さんの非常に素晴らしい青春漫画なんですけど。

今回の映画では、松坂桃李さん、男の墓場プロダクションTシャツやらバッジやら、身につけていらっしゃいましたしね。あれはたぶん劔さんの私物なんでしょうかね。というか、衣装とかグッズなど、今回の映画は実際の本物を用意しているあたり、すごくちゃんとしているあたりでございます。

とにかくその劔さん、人生非常に落ち込んでいた時期に、あややに救われ、一生の仲間たちができた、みたいなそういう話。自伝的エッセイ漫画というのが2014年に出て、この本が出たこと自体が、我々的には、えーっ?モーヲタの本を出すの? モーニングの本じゃなくてモーヲタの本出すんだ!?みたいな。ちなみに、今日は、当時はまがハロヲタという言葉はなかったので、一応、モーヲタで統一させていただきますが、非常に驚きをもって読んだわけですけれども。

ちなみに、劔さん、「あらかじめ決められた恋人たちへ」のベーシストにして、今は犬山紙子さんの旦那さんとしても非常に知られておりますが、どんな人というのを知りたければ、一番手っとり早いのは、入江悠監督、2011年の『劇場版 神聖かまってちゃん』、これ、僕、2011年5月に評しましたけど、当時、「かまってちゃん」のマネージャーだった劔さん、実質、これは主役なんで、劔さんがいかに可愛らしい人柄、あと佇まいというか、ルックスも含めてめっちゃ可愛い。ご存じない方は、ぜひご確認いただきたいんですけどね。

だから、松坂桃李さんがあのキュートさをちゃんと再現できるのかっていうところがポイントだったんですけれども、松坂さんも見事なものでございましたけれどもね。

とにかく劔さんの自伝的原作。インタビューなどによれば、2015年ぐらいから既に映画化の話が出ていたということで。

人脈的に考えると、これを映画化するという時は、劇中にも出てきたロビンさんとか、あと、今回、映画版では完全にオミットされていましたけど、リシュウさんとか、して、後にタカ・タカアキさんと、要するに、「赤犬」の新ボーカルとなっていくイトウさんというキャラクターであるとか、要するに、「赤犬」という素晴らしいバンドがいて、「赤犬」ともつながりが深い山下敦弘さんあたりが、映画化なら適任なのかな、順当なのかなと、実は勝手に僕想像していたんですけど、実際に監督として白羽の矢が立ったのは、山下敦弘さんのさらに下の世代というか、山下さんに師事したこともありますよね。2019年、ご存知『愛がなんだ』で本格大ヒットを飛ばしました今泉力哉さんでございます。

当番組的には、昨年5月26日に映画の音声ガイド特集に松田高加子さん、黒澤美花さんと共にリモートでご出演いただきました。公園でリモートしてますとおっしゃってましたけど。

確かに今泉監督、南波一海さんが寄稿されているコラムでも南波さんがおっしゃられているように、要は、「好き」という得体の知れない情動。理屈では割り切れないもの、それが巻き起こす日常の中の人と人との間のざわめきというのを見事に掬い取る名手であって、その意味で、ハロプロという「好き」を見つけたことで人生が輝き出した人々。その一個一個は実にたわいもない、なんならしょうもないエピソードの連なりから、何かかけがえのない人生のある一時期のようなものが浮かび上がるという、劔さん原作の本質とすごい合っているわけですね。今泉さんのモチーフというか、スタンスみたいのが。

あと、今泉さんは、“恋愛映画の名手”みたいな言い方をされるけども、一方で、コミュニケーション下手な挙動不審男子というか、褒められたもんじゃない男性性も含めた挙動不審男子。そういう男の機微みたいなものを切り取るのも実はめちゃめちゃ上手くて、例えば、2013年の『サッドティー』であるとか、2017の『退屈な日々にさようならを』とか、このあたりにもそういう要素があったりするんだけど、この後4月にようやく公開となる『街の上で』という作品。こちらは、今回、西野さん役を熱演しておりました若葉竜也さん主演。あと、萩原みのりさんがまたまたピリリと印象を残す好演ぶりを残しておりますが、この『街の上で』、これがなかなかの傑作っていうか、僕はこれ、既に大好きな1本になっちゃっているので、これは公開タイミングでガチャをぜひ当てたいな、当たるといいなと思いますけど。

『街の上で』と今回の『あの頃。』は、特に今泉監督の、さっきも言ったように、コミュニケーション下手、下手したら、傍から見たら挙動不審、ボンクラ男子の右往左往を何とも愛おしく切り取った、一種の連作的な共通性も感じさせるような2作になっているかなというふうに思います。

というわけで、『あの頃。』映画化。実は非常にドンピシャになっている今泉力哉監督というのと、さらに今回、座組的に面白いのは、冨永昌敬監督ですね。『乱暴と待機』とか、僕大好きな『ローリング』とかが、冨永さんが珍しく脚本のみで参加してると。冨永さんご自身の監督作で言えば、2018年の『素敵なダイナマイトスキャンダル』。末井さんの実在の人物、事象が多数登場する自伝的群像劇であり、それぞれは散文的なエピソードの連なりを一本の映画として再構築して見せるその作品として、今回の『あの頃。』に通じるのがあるのは、この『素敵なダイナマイトスキャンダル』かなと思います。

いずれにせよ、今回の脚本冨永昌敬さんにせよ、監督の今泉力哉さんにせよ、これ、さっきのメールにもあったとおり、劔さんとか、後に「恋愛研究会。」と名乗っていくあの面々であるとか、あるいはその当時のモーヲタシーンというものに対していい意味で距離があるからこそ、距離があるからこそ敬意を持ってきっちり取材などを重ねて作品に落とし込んでいくということもしている一方で、過度のセンチメンタリズムとか、逆に、自意識過剰の照れによる露悪などに陥ることなく、言っちゃえば結構フェアな視点というか、フラットの視点というのを本作に対しては保つことができているというあたりがプラスかなというふうに思います。

例えば、最大の焦点、この原作を映画化するに当たって一番の焦点は、アイドルファンというのをどう描くかというところですよね。これまでの映画化とかドラマ作品では、アイドルファンというのが出てくる時というのは、9割方というか、99%は、まあ、全く理解も敬意もない、記号的な茶化しとして出てくることがほぼほぼ全部だったわけですね。そんなのしかなかったわけですよ。

しかし、本作『あの頃。』は、さすが今泉力哉監督作と言うべきでしょうかね。「好き」という情動の発露が人生をちょっぴり、ちょっとだけ輝かせて、自分の世界を広げてくれるということを、まずはしっかり丁寧に掬い上げて見せるということですね。

例えば、先ほどオープニングでも山本さんとちらりと言いましたが、序盤、松坂桃李さん演じる劔青年の、見事に、最初、目の光り、瞳から光が消えているわけです。死んだ目なわけですよ。が、冷めきったお弁当と同じように、冷めきった目をした劔青年の目が、名曲中の名曲『♡桃色片想い♡』、松浦さんのミュージックビデオをボーッと眺めるうちに、みるみる涙でいっぱいになり、そして輝きを取り戻していく。

つまり、「好き」が生まれたことが誰かの人生に灯をともした瞬間というのを、この映画は、まさに映画だからこそ目撃して記録すべきものとして、まずは本当にじっくりと丁寧に捉えて見せる。これは、劔さんの原作でもできないことですから。それを実際その瞬間をドキュメンタリックに捉えるということは。そしてまた、それに応えてみせた松坂桃李さんの見事な演技ってことですよね。

そしてまた、そうやって心に灯った「好き」の熱が、同じ「好き」を抱えた他者によって、お前もなんか熱っぽいけど、その「好き」にお前かかっているんだろう。感知されるし、あるいはこちら側も、あ、あなたもこの熱、俺と同じ「好き」の熱だということでシンクロしていく。要は、自分の「好き」が他者と共有されたという。

これ、言っちゃえば、自分がずっと抱えてきた孤独というのが他者と共鳴した喜びという言い方すらできることであって、それによって閉じていた自分の世界がどんどん開かれて広がっていく。そんな「好き」の波及効果という面も、この作品はユーモアに包んではいるけれども、茶化したり見下すことなく見つめて見せているというふうに思います。

これは実際に当時のモーヲタシーンというのは、まるで秘密結社のように、ファイトクラブのように、本当にそこでどんどんどんどんいろいろな人が、全く立場も、例えば社会的地位も違う人同士が繋がって、それで今も友人であるというのは、全く僕らも同じですからね。

しかし、と同時に、決して過剰に美化などもしない。自分の「好き」っていうのが、でも、それは傍から見るといびつなものだったり、ドン引きされたり、社会的には肩身の狭いというか、認めがたいものだったりするということも、これは今泉力哉監督、これまでの恋愛映画とかでも冷徹に描いてきた部分ですね。お前、あなたの「好き」ちょっとおかしいよというのは。

例えば本作の主人公たち、あるいはイベントやコンサートに集まるヲタたちというのは、それぞれ間違いなく当人たちにとっては切実な「好き」というのに突き動かされた、一応純粋な熱の発露をしているんだけど、一歩引いた赤の他人の目線から見ると、やっぱりそれは引く人は引きますよねというか、それも無理からぬものですよねというようにも描いている。

というような視点も、ユーモアにはくるんでいるんだけれども、ただ、オタそのもののあり方全体を見下したりバカにするのとも違う、やっぱりある種のフェアさというのをキープしながら進んでいくわけですね。

先ほども言いましたけれども、学園祭で、例えば、モーヲタトークライブイベントを開催して大盛況であるんだけど、傍から見るとこうだぞ、みたいな。あれはちょっと僕は自分を見るようで頭を抱えてしまった瞬間ではありましたけど。

あと、本作、非常に重要なポイントは、モーヲタたちの応援スタンス。要は、疑似恋愛対象としてだけがアイドルファンのあり方ではないというかね。それが好きな人も、そういう人もいるけど、少なくとも当時2000年代初頭に盛り上がっていたモーヲタシーンというのは、劇中の彼らのように、例えば、独自でイベントを開いたり、その中でああだこうだと議論し合ったり、僕個人はどちらかと言うと贔屓の野球チームを応援するときに近い盛り上がりを見せていて、つまり、モーヲタとかアイドルファンの非疑似恋愛的側面というのをきっちり押さえているというのも、実は映像作品で描かれたアイドルファン像としては非常に画期的なものだったかなというふうにも思います。やっぱりちゃんと直接当事者にやっているだけのことはある。

というわけで、今泉力哉作品的に、「好き」というのの諸相ですね。いい面、悪い面、美しい面、変な変、みたいな、いろいろ描きつつ、今回はアイドルファン、初期モーヲタという立場を通して、時に愛らしく、そして時にグロテスクにですね。しかし、トータルでは忘れがたい人生の一局面、否定はし難い人生の一局面として描き出してみせる『あの頃。』という作品。

ネタバレしないようにある程度伏せながら話しますけど、仲野太賀さん演じるコズミン。本物はコツリンさんですけど、いかにセコい最低の人物かというのをさんざん描いておいてから、とはいえ、例えば、中盤の名シーン。先ほどもちらりと言いました。将来に不安を感じ、あややのポスターを剥がしかけるほどに、またまた落ち込んでいた松坂桃李さん演じる劔さんを励ますべくシチューを作ってあげるコツリン。そこに届く一封の封筒。そして、シチューの本当のお味とは、という。

これ、松坂さん、太賀さん、ご両者のアドリブも存分に活かされたという名シーンなどもあって、要は、本当に生きた人間として作品中に息づいている、例えばコツリン。最低だな、あいつというのを。俺も最低だけど、優しいとこもあるんだよな、みたいなことを、生きた人間として我々も感じるような。

その彼が非常に大きな人生の岐路を迎えるわけですね。その現実を目の当たりにした時の太賀さんの目の演技、すごいです。それもぜひ堪能していただきたいんですが。

とにかく、これ、下手な監督とか、あるいは志の低い作り手がやれば、目も当てられないことになりかねない、愁嘆場ばかりになっちゃいそうな後半の展開は。しかし、『あの頃。』という作品は、絶妙な距離と温度感で、いい人なんかじゃない、むしろ最低な人の人生、ドラマ、映画、なんなら我々自身も、赤の他人に対してなら、無視したり軽視したり批判したりするかもしれない、そんな人の人生の、でも、それだってかけがえないだろうという、かけがえなさ、愛おしさを、まさに目を逸らさずに差し出して見せるというか、映し出して見せるというところに価値があるかなと思います。

「好き」がある人生というのは、それだけで素敵じゃないかというようなことですね。そして、その「好き」そのものは変質したとしても、その先にある自分の人生というのも、やっぱりまた素敵じゃん、ということだと思うんですけどね。

ということで、キャスト一人一人の素晴らしさ、触れている時間がなくて申しわけないですが、やっぱりこれ、松坂桃李さんがこの役を受けたから成立した企画でしょうし、松坂さんのことは称えても称える過ぎることはないと思います。

あと、長谷川白紙さんによる劇伴。これまた適度な温度感、距離感を保ってて、非常にカッコいい上にクールで良かったと思います。

ただ、先ほどの批判メールにもあったとおり、正直、彼ら「恋愛研究会。」の、まさにホモソという感じのノリは、例えば、東京で僕らがRECとキャッキャやってたノリともまた全然違うもので、正直、あの壇上でやる、彼女を寝取ったね、寝取らないとか、そのノリは、正直、俺、もし自分らのイベントでやったら、それはやめろってことに当然なるぐらい。それは本当にどん引きする。その良し悪しをジャッジする場面でもないと思いますけどね。ただ、そこは嫌悪感のほうが先に立っちゃう人がいるのは当然だと思うし。

あと、そこも含めたイベントシーンですね。要するに、部屋でわちゃわちゃやってたシーンは、皆さん演技達者だからいいんだけど、客前にしたトークイベントというのの面白さみたいなのは、これ、劇中で再現するのは難しいところなのかな。それゆえに、構造のヤバみみたいなものだけが先に立っちゃう部分がちょっとあるのかなというのは、あ、ここは再現難しいんだ、これだけの芸達者をもってしてもというのは、ちょっと思ったりしましたね。

ということで、さっきから距離感とか温度感が素晴らしいとか言っていて、僕自身が全く距離をとれていない評で申しわけございませんでしたが、でも、僕自身は、ああ、モーヲタで自分もよかったなって思うような、RECたちとまた飲みたいなっていうふうに思うような、そんな一本でもありました。あと、劔さんとも飲みたいな、ロビンさんとも飲みたいなみたいな、西野さん元気かなとか思うような作品でもございました。

全然距離とれてなくてごめんね。ぜひぜひウォッチしてください。

 

 

こんなことしてる場合じゃないんだけど、「やっぱりこれ、松坂桃李さんがこの役を受けたから成立した企画でしょうし、松坂さんのことは称えても称える過ぎることはないと思います。」この言葉が嬉しくて、残しておきたくて、書き起こしてしまった。「好き」は強い。