映画『流浪の月』 李相日監督インタビュー

 

SWEET!! ラジオ日本 2022年5月9日

 

 

――『流浪の月』を映画化しようと思った理由

李監督:本屋大賞を『流浪の月』が受賞する前に読むことができて、『怒り』以来、しばらく時間もあいてしまっていたので。ただ、自分の心の針に何が触れるか、読んでみないと、いろんなものを読んだり、見てみたりしないとわからないじゃないですか。その中で『流浪の月』というのは自分の中に刺さるものが幾つかあって、なかなか答えが出せないというのも一つあると思うんですけど、今の僕らが聞いている現代社会の空気感みたいなものもすごく映していますし、2人の、絆という言葉はあまり安易に使いたくはないですけど、2人の形容しがたい関係性みたいなものの確かさというものに自分の心の針が振れたんだと思うんですよね。

――映像化するのは難しくなかったですか?

李監督:よく、原作の中でも「名前がつけられない関係」と言っていますし、よく「生きづらさ」とか「不寛容の時代」とか言われるじゃないですか。そういったことって映像になったときにどういった表現がふさわしいのか。どうしたら今の人に実感としてきちんと届くのかというのはなかなか難しい作業でしたね。

――すごく難しそうだな、大変そうだな、表現するのは大変だったんじゃないかなと思って見ていましたけど。

李監督:わかりやすく、腹が立ったりとか、楽しかったりとか、悲しかったりとか、そういった説明できる感情ならわかるんですけど、ずっと渦の中にいるといいますかね。でも、表から見たら何が起きているかわからない。でも、普段、日常ってそうじゃないですか。みんな感情が表に出ているわけじゃないんで、外から見たときには何が起きているのかわからないけど、その人の中ではものすごくいろんなことが渦巻いている。ただ、何もしないと何も感じ取れないし、あまり渦巻かせ過ぎると見えるしという、その調整と言うんですかね。でも、それが日常だから、その空気感というものをどう捕まえていくのかというのがたぶん難しかったんだと思いますね。

――広瀬さんのポスターの表情一個でも、すごい微妙。今までの彼女に見たことのないような微妙な表情がにじみ出てる感じがして、それがまた役ならではというところなのかなと思っていましたけど。

李監督:そうですね。どんな表情って説明できないですね。でも、見たら何かが伝わるという気もしているんですけど。

――『流浪の月』での広瀬すずさんの印象はどうでしたか?

李監督:僕は『怒り』でご一緒したのは、彼女は17歳で、演じるということの入り口に立っていたかどうかというところだったんです。それこそ手取り足取りじゃないですけど、いろいろ細かく指摘したり話したりしたんですけど、今回は5~6年のキャリアもあるし、あの世代の中で突出した存在でもあるので、どちらかというと彼女からわき上がってくるものを僕はなるべくじっくり待つというか、自分で何か道を見つけていくちょっと手助けをするみたいな感じでしたけどね。

――広瀬さんのドキュメンタリーを観ていたときに、「この映画壊す気?」と監督がおっしゃっていたシーンがあって、私も一緒にはぁ~と思っていて、そこでも食らいついていく彼女がかっこいいなと思って見てて。

李監督:負けん気がすごいですからね。特にそのときは。あの負けん気の強さは(笑)。いま、だいぶ負けん気というか、何に勝つのかみたいなところは、もうちょっと違う考え方というんですかね。とにかくあの当時は、いろんなものに負けないみたいな強さがあったんですけど、もうちょっと熟成してきたのか、もう少し敵とかそういうことじゃない、もうちょっと自分との何かやりとりがふえたんじゃないかなという気はしますけどね。

――「自分の中からわき出す感情を監督は待ってくれた」というふうに話してましたもんね。

李監督:何か彼女の中でわき出るものと役との感情がつながったときの強さといいますか、そうしたときのエネルギーって、やっぱり特殊なものを感じますよね、端で見てても。

――松坂桃李さん、文役。どういった理由からキャスティングされたんですか?

李監督:理由がないのが理由、ぐらいに、本当に彼しか思い浮かばないというか。桃李くんて本当にたくさん作品に出つつも、いろんな役柄を、作品ごとに顔が違うというか。でも、Aという作品があって、その印象で次のBを観たときに、Aを引きずっているかというと、引きずっていないんですよね。浄化されて、次、次と、いい意味で残し過ぎないというか。だから、捕まえ切れないんですよね。でも、すごく、たぶん桃李くん本人の中には、印象ですけど、常にきれいな水が流れてる、じゃないですけど、そういった揺るがなさと清廉さみたいなものが、彼のイメージというか、彼の持っている人間性もあると思うんですけどね、が、文にたぶんぴったり過ぎるというか。

――文もよく怒らないなとか、これ、普通嫌じゃないのかなと思いながら観ていて。文の中にもきれいな水が通っていたんですかね。

李監督:でも、ちゃんとその奥底にマグマもあると思うんですよね。その感じは映画の中でも最終的にはマグマみたいなものを見せてはくれるので、ただ澄んでいるだけじゃない、その奥底には、ものすごく彼なりに溜めているものがあるという表現は秀逸でしたね。

――私、文の匂いさえも感じられるんじゃないかと思いながら。

李監督:匂いのしない匂いですよね。

――匂いまで透明感じゃないですけど。

李監督:そうですね。

――今までの横浜流星さんとはちょっとイメージが違いましたね。

李監督:ちょっとどころかというところですかね。彼自身も役者として飛躍したいという意欲がすごく強いタイミングで出会えましたかね。だから、自分が今までやったことないこととか、自分のイメージを突き破りたいという意思がすごい強かったので、そういう意味で、一番、言ってしまうと嫌われてしまうというか、誤解されることも多い役なんですけど、よくぞその役の中に深く入ってくれた印象ですけどね。

――でも、まっすぐさは失われていない気がします。

李監督:そうですね。彼自身の持っている不器用さみたいな真っ直ぐさは存分に生かされていたと思いますね。

映画って俳優さんの人生との出会いでもあったりするんで、どのタイミングで出会うかというのも結構作品に反映しますよね。結果的には。

――監督と出会うと自分の役の幅も広がりそうですね。

李監督:そうですね。

――広瀬さんだと父と娘のようで、横浜さんだと父と息子のようにも見えたんですけど。

李監督:実は年齢差の意識はそんなになくて。同じ目線。撮影を一歩離れると、僕も年の近い娘がいたりするので、こんなところが娘っぽいのかなと思ったりしますけど、撮影中は世代をあまり感じないというか。それは、例えば、柄本(明)さんとご一緒しているときでも、向こうも年下で息子みたいな感じでと思っていないと思うんですよね。そこは目線が一緒というか。それは、今回、更紗の子ども時代を演じてくれた白鳥玉季ちゃんにしても、もっと子どもよりもっと下ですけど、あんまり子どもだからという印象はないですね。同じ目線で会話している感じがしますよね。

――特に印象に残っているシーンは?

李監督:今回、カメラマンを今回、韓国から撮影チームに来ていただいて、日本映画を初めてやっていただいたので、『パラサイト 半地下の家族』『バーニング』を撮られた(ホン・ギョンピョ監督)。なので、日本の風景の捉え方が、僕が当たり前と思っていたものと見方がちょっと違ったりもして、何気ない役者の背景に入ってくる夕暮れだとか、湖の水面の波紋だとか、ちょっとしたことなんですけど、それがただ映像がきれいとか美しいだけではなくて、どこか俳優というか、役の登場人物の心証とすごく重なり合ってくるというんですかね。美しくもあり、役者のキャラクターの心を代弁しているようにも感じる、その厚みというのは、印象に残っていますね。

――カーテンが揺れるシーンでも2人の雰囲気が感じられるとか、あと、私が印象的だったのは湖のシーン。それぞれに湖に行くじゃないですか。湖のシーンと言えばそれだけなんですけど、そこで彼はこういうふうに思っているのかなとか、彼女はこういう気持ちなのかなとか、自然との感情の融合が素敵だなというのも感じました。

李監督:今回、なるべく水を意識して、水という存在が更紗と文の記憶につながったりとか、2人をつなげるものなのか、2人を包み込むものなのか、何かそういったメタファーとして所々でこっそり入れては(いる)。雨も水と言えば水ですし、文がいるカフェの隣には川が流れていたりとか、2回見ていただくと、そこまで気づくかもしれないなという(笑)。

――作品に込めた李監督の思い。

李監督:いま見ていただきたい。というのは、いま、生きづらさとか不寛容が自分たちの隣にあるときに、どうしても自分の常識でものを判断してしまったり、どこか人を批判してしまったりすることというのは、気がつかないうちにあったりもするので、そういった自分の常識をちょっと疑ってみるというか、そういった揺らぎも、この映画を見ることで何か気づきになるといいかなと思っています。

本当の真実って当事者にしかわからないですもんね。あとはみんな解釈があるだけなので、そういったところに踏み込んで、この2人をどう自分なら見るかという意識で見ていただければ。わかりやすく感動したということもいいんですけれども、そういったものをちょっと超えて、共鳴してもらえるとうれしいですね。

俳優と映像がすばらしいと思うので、劇場でご覧ください。