『逃亡者』の感想

 

書店員・新井のラジオ 2020年5月17日

  

新井見枝香:これ、「『逃亡者』を読みました」と言って、翌日、ケロッとしては生きられない、みたいな感じがして。『逃亡者』を読んだ上でそういうことが言えるのかとか、そういう考えができるのかとか、そういう、自分にすごく密接に関わってきて、状況としては、いきなりドイツだし、逃亡することなんてないだろうし、トランペットもおとぎ話風というか。ではあるんだけど、すごく実際とリンクしていて。特に今の状況かな。

中村文則:そうですね。

新井:それは誰もが思うと思うけど。

中村:「読んで呆然とした」という感想が結構多いですね。

新井:読んで呆然と、そうだね。

中村:「読み終わっても引きずる」っていう声はよく聞きますね。

新井:でも、それって、小説にはいろいろあって、本をパタンて閉じて、「ああ、面白かった。その世界は終わりです」というものもいいとは思うんです。特に、今のいろいろ悩んでいることから離れたいとかいう時には効能もあるんだけど、でも、こういうふうに深くかかわってくるものを読むと、小説である意味というか――。

私、すごく小説が好きなんですけど、ノンフィクションを読んだ時に、どっちがいいとか悪いじゃなくて、小説じゃなきゃ自分の中に入ってこないことというのは確実にあって、それが『逃亡者』というか、中村文則さんの小説にはいつもすごくある気がするんですね。これは特にそうで。

中村:確かに、書いている時に、いろんな認識があると思うんですけど、僕自身は、今の社会がちょっとずつ悪い方向に向かってるなというふうに僕は認識していて、そういう時代や社会に対して、どういう言葉が必要で、どういう物語が必要かなということを考えたんです。今回。

で、新型コロナが流行してしまって、僕、コロナの現象って、突然世の中が変わるというよりは、ずっと少しずつ悪くなっていた世の中の流れが、コロナのせいで助長するというか、より悪くなる速度が速くなってしまうんじゃないかというふうに思ったんですね。

なので、ちょうどこの本を出した時に、コロナのふう(?)になって、社会もこれからさらにどんどんギスギスしていくと思うんですけど、そういう流れにちょうど当てはまったというのが、当てはまってしまった、みたいな。出すタイミングとしては。そういうふうに思いはしたんですけど、ただ、作家としては、あくまでも僕個人の意見の、作家としては、今必要なものは提示することができたんじゃないかというふうに自分では思っているので、より現実の社会とかなりリンクする話なので、書かれている歴史的なことって、歴史的なことにすごくかかわる小説でもあるので、その辺はすごく事実どおりというか、歴史小説の面もありますし、もちろんフィクションとしての物語も歴史に絡めて書いてはいるんですけど。

新井:歴史もそうで、歴史が好きっていう人はいるし、逆に苦手という人もいて、私はすごく苦手なんですけど、それが入ってこなかった理由としては、そこに個人が見えなかったりとか、感情がよくわからないということがあったけど、小説で読むと、本当に苦手分野だったものがスルリと入ってきて、そういう面もあり。

あと、現代を書いたところで言うと、この小説がどれほどの人に伝わるのかというところが、例えば、社会を見ていて、コロナに対する反応があまりにもさまざまで、その立場によって全然違うと思うんですよね。

中村:そうですね。

新井:例えば、守りたいものがある人。子どもがいるとか。もっとそうじゃなくて、この物語にも出てくるけど、世界のことを考えていない人との差みたいなのがすごい激しく出ている気がして。

私はこれを読んだ時に、両方の感覚があって、「世の中なんて別にどうだってもいい」っていうふうに思う気持ちと、「いやいやそうじゃない」って思う気持ちが両方あって、それが両極端な人にどういうふうに響くかなというのが、とても興味がありました。

いつも小説を読むと、人の感想とかってあまり気にならないんだけど、これを読んだ上で、例えば、そういうツイートをリツイートするのかとか、デモに対してどういう目を向けるのかとか思ったりとか。

中村:そうですね。だから、今起こっている社会の問題のど真ん中を書いていますからね(笑)、だから、いろんな反応はもちろんあるというふうに思います。

新井:そうですよね。

中村:ただ、『教団X』とかは、本当に自分の思想をぶつけた感があったんですけど、今回は、伝え方ということも僕なりには考えたつもりではいたんですよ。社会問題を扱うというだけで拒否反応を示す人は必ずいるので、その拒否反応を示すということも踏まえた上で、じゃ、拒否反応を示す方にどう伝えればわかってくれるだろう、みたいな、そういったことも一応試行錯誤で書いて。

で、一つたどり着いたというか、思ったのが、「公正世界仮説」という、この小説にも出てくる心理学の用語で、すごい簡単に説明しちゃうと、「世の中のシステムがよくない」とか「社会が悪くなっている」と聞くと、不安に思う人がたくさんいると思うんですよ。

新井:はい。

中村:社会が悪いととても不安になるので、「社会は悪くないんだと思いたい」というか、「社会は安全で健全だと思いたい」という心理が働いて、その結果、社会で虐げられている人とか、困っている人を見た時に、それが社会問題だと思うと、考えたくないし、怖いし、できれば社会問題であってほしくないので、個人の責任に転嫁してしまうということが人間社会でよくあると思うんです。

新井:はい。

中村:社会問題というのを、仕組みが悪いと思うのではなくて、お前の努力が足りないからだ、みたいな、個人攻撃に移ってしまうという。この心理というのが、ちょっと日本は強くて、今、コロナになってしまって、余計それがたぶん強くなってしまっていて、人間というのはこうなる危険があるよ、みたいな。

前までは、そういうふうな説明とか(を)なしに自分の意見を書く傾向があったんですけど、今回の小説は、いろいろ考えて、人というのはこういう傾向にもあるから気をつけましょうとか。

あとは、物語を書く側の人間として、社会や人々が読みたいものとか聞きたいことというものを提示することが本当にいいことじゃない場合があるっていう、物語を作る側の危険性というのも今回はテーマであって、この小説で言うところで言うと、第二次大戦中は、軍歌とか、あとは、いろいろなニュースや物語でいろいろ戦争を盛り上げてしまったということがあって、そこまで極端ではないにしろ、こういう物語を読むと、ちょっと社会をよくしようと思えるけど、こういう物語を読むと、そこですっきりして終わってしまって、社会を少しでもよくしようと思う気持ちがなくなってしまうような物語も実はあったりもして、「公正世界仮説」という心理学を補強してしまう物語というものが実は存在するので、できればこの本は、物語を作る側の人とか、あと、物語を提供する側の人とか、そっちの人にも読んでもらいたいなというふうに思います。

どういうふうに受け止められるかどうかは、そこは人それぞれなので、それはもちろん、どういう反応でももちろんいい。一回こういう物語に触れていただきたいなというふうには、作者としては、今回はそう思ったんですけどね。

新井:社会とか政治とか、そういうことを絶対考えたくないという人はいて。

中村:はい。いますよね。

新井:自分もそれを読んだ時に、ハッ、確かにそうだなって。何とかしてくれる、どうにかなるだろうというか、そういう問題を見せないでほしいという被害者みたいな気持ちになったりとかもして、逆に言うと、街中でデモをしている人とかは、好きなんだろうなと私は思っていたんですよ。そういうことが好きでやっていて楽しいんだろうなって。なんかそういうふうにしか思えなくて。でも、確かにそういう面もあって、その物語の中にもあったと思うんですね。雨が降っていても演説して。

そういうことを言っている人とか、今だと、ツイートでこういうのは反対ですとかやっているのがありますよね。検察庁法改正案。それとかもワーッて乗り込めない感覚というのがあったんですけど、そういうふうに悩んでいた時にこの小説をちょうど読んだので、いろんな人の考えも想像できるようになったし、特に、この主人公はすごく絶望しているんですよね。これは小説としてすごい面白いというか、すごいなと思った点なんですけど、最初から愛する人を失っていて、世界に絶望している人間が、なんで逃亡するのかっていうふうに思ったんですよ。もう死んじゃいたいだろうに。そんな状況で。

中村:そうですね。

新井:で、彼の壮大なる逃亡劇場を見ていると、そういう人間でも、社会のことを考えたりとか、それは間違っているとか、ちゃんと考えられることができるんだなというふうに思えて、それは物語である効果というか。

中村:そうですね。演説みたいな、論文とかで見てもなかなかしっくりこないけど、物語の一人称で、主人公と一緒に物語に入っていくと、入ってくることってありますからね。

新井:そうなんですよ。すごいのは、「そういう自分はどうなんだ?」というのが常にあって。発言をする時に。その内面を見せてくれつつ、彼がとった行動とかを見ると、正解はないんだけど、希望はあるかなって少し思いました。

中村:なので、これ読んできっかけにしていただければと思います。例えば、これを読んですぐ、「よっしゃ、私は社会問題にめっちゃかかわる」って急になってくれる人もいるだろうけれど、そうでなかったとしても、何かしら考えて、ああ、そういう面あるかもなとか、社会ってそういう面あるかもなって思ってくれればなという思いはもちろんあって、でも、そういうのを、難しくてややこしいことを、ややこしいまま提示するのではなくて、物語としてグイグイ読めるようなものとしてやっていきたいという、創作者としてのやる気みたいな、創作者の熱意みたいなものも、書いているとあるので。

新井:これをこの枚数にまとめたというのも神業だなと思いました。

中村:確かにそうですね。もっと長くなるでしょうね、たぶん。

新井:はい、うん、そうなんです。

中村:僕はとにかく「なるべく短く大きいことを言う」というのを心がけていまして。

新井:はあ。

中村:短歌とか俳句もそうじゃないですか。あれ、すごく短いんだけど、大きなことを言うので。でも、今回のそれは、上下巻ぐらいの内容を一冊にしている感じですね。場面転換もパッパッて変わっていって。

新井:うん。ああ、楽しい。

(スタッフさんに)しゃべり過ぎ?

次、進みます。楽し過ぎてさ、もう。

中村:コーナーとかあるんですか?これ。

新井:コーナーとかあるんですよ。一応これから質問……。

中村:新井さんがラジオをやっているという噂は聞いてたんです。だから、呼ばれたから「よっしゃ!」と思って。出たぞと思って。

新井:(笑)3人目のゲストに。

中村:3人目ですか? それ、うれしいな。最初誰だったんですか?

新井:最初、町屋良平さんで。

中村:ああ。またなんかアレですね、渋いっていうか。

新井:(笑)次、村田沙耶香さんで。

中村:はいはいはい。村田さん、第2回だったんだ。

新井:だから、さっき言ってたんだけど、全部“変人枠”っていう。

中村:ハッハッハッハッ 確かに。でも、町屋さん……。でも、あの人スマホで書いてるからな。

新井:そう。あの人がたぶん一番変人です。一見普通に見えるところがだいぶヤバい感じなんですよ。

中村:確かにスマホで書いてるってびっくりしたもん。

新井:本当に。

 

質問コーナー

新井:ツイッターから質問があるんです。じゃ、いきますね。「中村さんは、小説以外に心の拠り所にしている物や事はありますか?気持ちが落ちている時に、復活するきっかけみたいなのを教えてほしいです。」

中村:今は、新聞連載でカードにまつわる話を書いていて、アメリカ式のポーカーにハマっています。コンピュータのAIとずっと対戦しています(笑)。それが今は楽しい。

新井:仕事から離れているというか、離れていないというかですね。

中村:そうですね。僕の中で、小説家って仕事と離れて云々てないんですよね。全部小説のテーマになってしまうので、考えちゃう。今はポーカーですね。で、気持ちを上げる時はお笑いです。

新井:おー、お笑いを観る。

中村:お笑いを観るのがいいです。やっぱお笑いって、僕、結構意識面倒くさいんですけど、結構面倒くさい意識を持っているんですけど、笑いって、そこを通り越してダイレクトにくるんで。だから、すごい悩んでたり暗くても、そこを飛び越えて笑わせてくれるので、笑いはすごくいいです。大好きな芸人さんもたくさんいますし。

新井:教えてください。

中村:多過ぎて言えないです。

新井:ええー?そんなに?

中村:多過ぎて、多過ぎて。たいてい好きですね。たいていの芸人さん。たいてい好きです。

新井:すごい広い!

中村:お笑い番組がいいです。

新井:めっちゃ笑っているんですね、家で。

 

新井:次の質問ですね。「好きな人間のタイプを教えてください。」

中村:好きな人間のタイプ。ああ……。

新井:人間は好きじゃないとか、そういうアレも。

中村:変わってる人がいいですね。

新井:(笑)

中村:変わってるっていうのも、パッと見変わってるというだけじゃなくて、別にパッと見特に変わったことがなさそうな人なんだけど、しゃべっていくと、この人のここの部分、すごい変わってるなって発見した時にすごいうれしいです。そういうことはありますね。

新井:変わってるようにしようと思ってなくて変わってるとこが面白いということですね。

中村:そうですね。ただ、変わってるようにしようとしてる人も、逆に面白かったりするんです。

新井:(笑)そういうふうにするんだ、というところが面白かったりする。

中村:そうですね。あと、やっぱり「読者です」って言われると、急に好きになります(笑)。この辺が作家病ですよ。「読者です」って言われたら、すぐ好きになります。

新井:ゲンキーン(現金)て(笑)。

中村:あと、これから読者さんになってくれそうな人。僕の読者さん、何かしらパターンがあるっていうか、人としてのタイプみたいなものがあるじゃないですか。

新井:うんうん。

中村:だから好きなのかもしれないですね。自分と近いと思うのかもしれない。

新井:それはわかるかも。お客さんで販売してても、この人ってこの小説家のことすごい好きそうっていうのは大体わかりますよね。

中村:例えば、書店員さんだったら、レジに持ってきた本を見て、ああ、この人なら友達になれそうだ、とかね。

新井:あるある、わかる、わかる。

中村:やっぱあると思います。

新井:わかるわぁ。