ゲスト 是枝裕和監督

 

武田砂鉄のプレ金ナイト 2023-06-02

 

武田砂鉄:『武田砂鉄のプレ金ナイト』、ここからはゲストコーナーです。今日お迎えするのは、最新作『怪物』が公開されました映画監督の是枝裕和さんです。よろしくお願いします。

是枝裕和:よろしくお願いします。

武田:1年ぶりということになりますけれども、この間、メールをいただいて、「ぜひ観てください」というメールがきて驚いちゃいましたけれども。

是枝:砂鉄さんならどうご覧になるのかなというのがちょっと気になったので。

武田:いやいやいや、恐縮でございます。

 

拍手の長さ

武田:カンヌ、(クイア・パルム賞と脚本賞(坂本裕二))受賞されて、日本で伝えられる時に、拍手がどれぐらい続いたかとよく報じられて、僕、そういう現場に行ったことがないのでわかんないんですけど、あれ、拍手の分数がすごい明確に、9分半というふうに。

是枝:誰が数えているんだか、ちょっとわかんないんですよね。

武田:誰かストップウオッチを持っている奴がいるというわけではないんですか?

是枝:たぶん宣伝部が……。宣伝部が数えているみたいですね。

武田:あれは、でも、拍手って、誰が……拍手が終わる瞬間て、僕、見てみたいなといつも思うんですよ。

是枝:最近は、そろそろ終わりそうだとなると、ディレクターがマイクを持ってやってきて、監督にマイクを渡すんですね。それを合図に拍手は止まります。

武田:じゃ、全体のボリュームが何となく

是枝:おさまったな、おさまりそうだな、ぐらいでマイクを持ったディレクターが来ます。

武田:じゃ、その拍手の長さというのは、やはり称賛のというか、リスペクトの長さということでいいんですかね?

是枝:ある程度はなんですけど。「あれ? 引き延ばしているな、ずいぶん」というふうに感じることもありますし、「あ、意外と早く切り上げたな」という時もあるんですよ。5年前に『万引き家族』で行った時には、樹木希林さんが隣で「あの物欲しげに何度も手を振るのはみっともないから

武田:どう考えてもお嫌いそうですよね。

是枝:とにかく私は大嫌いだから、すぐ帰るから」と言われて、でも、ディレクターは「ステイ」と言うんですよ。「まだ続く。ステイ」。

武田:わざわざ続いているものを断ち切る必要はないと。

是枝:そう。僕が帰ろうとすると目配せで「だめだ」と言うんですよ。僕は板挟みで、全然嬉しいとかなんとかじゃなくて

武田:この場をどうするか、みたいな。

是枝:この場、どのタイミングで帰ったら希林さんに怒られないか、みたいなことばっかり考えてたんですけど。今回もだから、いないのに希林さんが気になっちゃいました。(笑)

武田:いない希林さんが拍手の度に浮上して

是枝:そう。「あなた、もうそろそろ帰らないとみっともないわよ」ってどこかから僕に語りかけて

武田:(笑)恐ろしい存在感ですね。

 

パピコベビースターラーメン

武田:『怪物』が今日から公開されているということで、カンヌから帰ってわりと間もないタイミングですか?

是枝:そうですね。先週の土曜日に戻ったので、ちょうど1週間ですね。

武田:今日もずっといろいろと取材を。

是枝:今日ずっと取材。

武田:そんな中、夜遅くにありがとうございます。

是枝:今日、これが最後です。

武田:最後ですよね。さすがにね。

是枝:(笑)

武田:リスナーの方に話がわかりますように、少しだけ作品について紹介しておきますと、物語は、同じ出来事を別々の3人の視点から描いていると。安藤サクラさん演じるシングルマザーの麦野早織の視点と、永山瑛太さん演じる小学校の担任・保利(道敏)の視点と、そして、早織の息子・湊と、その友人・(星川)依里の子どもたちの視点、この3つの視点で描かれているということで、これがどこまで内容説明になっているのかというのはちょっと定かではないところもありますけれど。

映画が始まってすぐ、安藤サクラさんと湊がパピコを食べるシーンがありますね。あれ、すごく印象的なシーンだなと思って。前、是枝さんのエッセイを読んでいたら、チューペットが大好きだったと。

是枝:(笑)

武田:あと、ガリガリ君も大好きだって。

是枝:大好きでした。

武田:ここはなんでチューペットじゃなかったのかな?って思ったんですけどね。どうでもいい(笑)。

是枝:パピコも大好きです。

武田:パピコも大好き。あれは、2つに割って

是枝:割ってるのがいいんですね、たぶん。

武田:人と分けるというのが。

是枝:それがいいですね。

武田:なんか物語性ありますもんね。

是枝:はい。

武田:確かに、この映画の中に、パピコと、あと、ベビースターラーメンというのも出てくるんですけど、ベビースターラーメンというのも、確かに自分があれぐらいの年齢の頃は人と分けてたなと。

是枝:秘密基地にあったような。

武田:なんかそういう感じがしますよね。

是枝:はい。

武田:ある程度大人になるというか、小学校高学年とか中学校になると、あの一袋を自分で食べるんだけど、小さい頃は半分に分けてたなというのをすごく、ウン十年ぶりに思い出した気がします。

是枝:あのへんは坂元さんの脚本に書き込まれているので。

武田:じゃ、パピコらしさとベビースターラーメンらしさを、たぶん坂元さんはもう

是枝:わかっていらっしゃる。

武田:入念に、わかっていらしたんですね。

是枝:はい。

 

映画『怪物』の舞台

武田:これ、舞台は諏訪湖周辺が舞台になっていますけど、最初は、湖じゃなくて

是枝:川でした。

武田:川だったということで、結構、西東京のほうとかあの辺りを狙ってたみたいなことをどこかに書いていました。

是枝:最初、そうですね。ロケハンでは、青梅とか立川の奥を探していきました。

武田:でも、見ると、湖の、当然だけど、水が波打っていない感じ、佇んでいる感じというのがものすごく印象的にビジュアルに入ってくるし

是枝:そうなんです。怪我の功名という感じで。東京は許可が出なくて。撮影の。やっぱり消防とか学校が出ないんですね。東京は。それで諦めて、じゃあ、周辺の都市を探そうかということで、たどり着いたのが諏訪でした。

武田:使われている坂本龍一さんの音楽も、湖の情景とか、あの光景を見たということも大きかったんですかね。

是枝:そうですね。代替案として出た諏訪だったんですけれども、坂元裕二さんもお連れして「ここで書き直せますか?」ということを尋ねて、「大丈夫です」というお話だったので、1日見て回った時に、ちょっと高台に上って、あの夜の湖を見たら、真っ黒い穴があいているような湖の淵に明かりがずっとあって、不思議な光景だったんですよ。「あ、ここで坂本さんのピアノが入るな」と思ったんですね。

武田:その時に是枝さんが思った。その光景を見た時に。

是枝:僕が思いました。

武田:僕も、東京の多摩湖というところの出身で、多摩湖から本当に数十メーターのところに住んでいるんですけど、夜の湖の、奥になにか吸い込まれる感じというか、ここから何かとんでもないことが起きるんじゃないかという感覚というのは、すごく幼少期にあって、それは川でも海でもなくて、湖の止まっている感じというんですかね。

是枝:そうなんですよね。何でしょうね。

武田:あれが恐ろしいんですよね。

是枝:僕は湖のそばに住んだことはなかったので、ちょっと感覚はわからなかったんですけども、撮影前提に訪れた時に、ああ、なるほどと思いました。これは違うな。この話は湖のほうが合っているなというふうに思いました。

 

伊那小学校の3年間を追ったドキュメンタリー

武田:是枝さんがずっと、1991年ですけど、伊那小学校というところに3年間ぐらいを追って

是枝:通いました。

武田:それを1つのドキュメンタリーにして。そのドキュメンタリーというのは、ざっくり言うとどういう感じの。それも学校を舞台にしたものですもんね?

是枝:はい。小学校3年生のクラスが1頭の子牛を預かって育て、種付けをして、乳搾りをしたいという。それを核にしながら、担任の先生が学科の教育を全部それで構成していくんですね。牛さんの絵を描くのが図工になり、牛さんの歌を歌うのが音楽になる。牛乳がどういうふうに流通していくかということが社会の勉強になっていくという、そういう形の総合学習という、全ての教科がつながっているという発想のもとに、総合学習、今のたぶん生活科のもとになった、実験校なんですけども、そこの学校を3年生、4年生、5年生と3年間撮らせていただいて、牛を育てて返すまでを撮りました。

武田:それも以前のエッセイに書かれていたんですけど、そこで動物を弔うという経験であるとか、あるいは、そこからまた生徒が作文を書くというシーンもあったりということが書かれていて、それもこの映画を観た方は、動物を弔うということと、それに対して言葉を、作文、言葉を子どもたちが紡ぐということも何かリンクしているなと思って、ちょっと「わっ」というふうに思ったシーンがあったんですけどね。

是枝:今言われて、今気づきました。そうですね。あのドキュメンタリーの中で、思いがけず産まれた子牛が亡くなって、弔いをした後の子どもたちの作文とか表情の変化というのは、やはり圧倒されたんですよね。あ、こういう形で喪失というものが人の成長を促すということがあるのだというのは、学校の担任の先生もそれは、「是枝さん見てごらん」と言って、作文を僕に見せてくれたぐらい大きく変わったんですよ。それは撮らせていただいて一番おもしろかったところでした。

 

映画『怪物』の脚本について

武田:今回、『怪物』、坂元裕二さんが脚本を手がけられていますけれども、プロットが最初に上がってきたのが2018年の12月というふうに聞いていますけれども、結構前と言えば前ですよね。

是枝:4年半かな? 違うか。

武田:4年前くらいかな。以前からいろんなインタビュー等でも語られていますけれども、坂元さんと一緒に仕事がしたいということは、最初に対談をされた頃からかなりラブコール感がテキストに残されているところでも、

是枝:相当(笑)。

武田:この人、ラブコールを送っているなというのが(笑)。

是枝:相当送ってますよね。

武田:ええ。

是枝:きっと露骨に。たぶん。3回ぐらい送っているんだと思います(笑)。

武田:そのラブコールの返りは感じていたんですか? それまでは。

是枝:同じモチーフに関心を持っている監督だというようなシンパシーは感じていただいていたと思います。

武田:でも、坂元さん、いろんなドラマで観ていると、非常に長台詞で、登場人物が3人なり4人、まとまってそこで会話激を繰り広げるというのが非常に印象的なシーンが多いですけれども、今回、どちらかというと長台詞というよりも、言うと、1対1とか、1対3とか、わりとコンパクトな会話の連なりが多かったのかなというふうに思ったんですけどね。

是枝:そうですね。

武田:それは、最初、プロット、脚本を読んだ時には、いろんな感想があったと思いますが、どういうふうにお感じになりました?

是枝:プロットの段階で今の3部構成でした。読んでも、読んでも、何が起きているのかわからないという不穏な感じがずっと続くという読み物で、これはすごいなと。おもしろいなというのがまず第1の感想でした。

で、脚本になったところでは、結構長台詞のシーンも3つ4つあったんですけれども、最終的に全部落ちました。

武田:落ちた? 落とした?

是枝:はい。それは、やりとりをしていく中で。僕が落としたというよりは。坂元さんが、最初、全部、途中で、初稿が3時間を超える分量だったので、プロデューサーも交えて、それを1年かけて削っていく作業をみんなでやったんですね。それはもちろん坂元さんが真ん中にいて、ここは長いのではないかというような話し合いをしながら、坂元さんが「じゃ、持ち帰ります」といってカットをしてくるということを繰り返したら、1回、半分以上切れちゃいまして、すごくやせ細っちゃったんですよ。その段階では長台詞が1つも残っていなくて、そこからまた僕がちょっと戻させていただいたりという、そういうやりとりが3年あったという感じです。

 

形のないものを見せる

武田:でも、本当に、この作品を観ると、1つの物事というのは、誰が悪いとどういうふうに決められるのか。カメラをどう向けるかで、やはり光景というのは変わるし、コミュニケーションをとることの難しさとか、構築し直すことの難しさというのはすごく感じたんですよね。善悪を非常に明確に決めるって、どれぐらい難しいことなんだろうかということを感じて。

例えば、今僕は、このスタジオの机の下で、是枝さんの足を蹴っていたとするじゃないですか。

是枝:はい(笑)。

武田:で、是枝さんが「武田に蹴られた」というふうに言った。でも、僕の隣にいるスタッフは「いや、蹴ったのは是枝さんですよ」というふうに言ったとすると、誰がどういうふうに立証するかって、全員が全員正しかったりするというようなことというのは、ままあることですよね。

是枝:ありますね。

武田:それがいろんなところで規模が膨らんでいくと、それこそ社会的な事象になり、本当に大きなことになっていく。そのさまが3つのブロックで描かれているというふうに思うんですけれども。

武田:じゃ、そのプロットを坂元さんからもらって、読んでも読んでも不穏な感じがする。これをどういうふうに咀嚼したらいいのかわからないというものを形にしていく上で、不穏さを見せる、わけのわからない、形のないものを見せるというのは、そもそも言葉として矛盾しているといっちゃ矛盾しているわけですけど、どういうアプローチをとったんですか?

是枝:これ、難しいんですよね。僕が普段つくっている映画は、どちらかというと、何かがかつてあった余韻を描いていくことが多いんですけど、今回のものを読んでてすぐわかったのは、予兆だけで描かれていて、僕と真逆の見えない時間というのが現在の進んでいく時間に重ねられているんですね。演出上考えなければいけないことは逆なんですけれども、2層で考えていくという発想自体は同じなので、そこは今までやってきたことを応用しながら、それを前に、先に進めていく時間としてそこに描き込んでいくということを意識しようというふうには考えました。

武田:じゃ、その余韻を捉えるというのは、でも、できるだろうなという感覚はあったわけですか。それは坂元さんの作品であるという、もちろん最初からやるという確信があった部分もあるんでしょうけど。

是枝:台詞の端々に、もしくは構成そのものが、この先何かが起きた、もしくは、今何かが、気づかないけれども起きているだろうということを予想させるものだったので、これをきちんと撮れれば、それがわからないまま1時間は引っ張れるというふうに考えてました。

 

本当のことを言わない

武田:初めて是枝さんと坂元さんが対談された時の模様が『是枝裕和対談集 世界といまを考える』という本で文庫で出ているんですけど、そこで是枝さんが坂元さんの脚本になぜ飽きないのかということをご自身で語っていて、その理由は「本当のことを言わないからだ」ということを是枝さんが坂元さんに

是枝:言ったかもしれません。

武田:言っているんですよね。それはどういう意味なんでしょうね。本当のことを、直接なことを言わないということなんでしょうか。

是枝:そうですね。たぶん、さっきの長台詞のシーンも、多くは、言いたいことにたどり着く前のどうでもいいことを延々人はしゃべっていて、でも、それがおもしろいということだと思うんですね。本人が気づいている場合もあれば、気づいていない場合もあるんですけれども、言いたいことは決して言葉にしない、もしくは、本当に言いたいことは言葉に乗らないのだという、ある考え方を持っていられて、僕もそれは全く同じなんですよ。そのことは最後まで言葉に乗らない。今回のホン(脚本)もそうだった。そこが一番のポイントだなというふうに思いました。

 

是枝作品と坂元脚本が溶け合う場面

武田:最初の坂元さんと是枝さんの対談の中で、坂元さんが、10年ほど前に何かの番組で、ドラマか何かで男女がキスをしている後ろで車が燃えている1枚の写真を見たと。それを見たときに、ラブストーリーというのは男女だけで成立するわけじゃなくて、社会で起きているいろんな出来事が作用すると。逆に、男女の間に起きていることが社会にも作用していると。あの頃から個人を描く時に、その背景は真っ白ではないということをどこか強く打ち出している気がする、ということをおっしゃっていて、今回も、奇しくもですけど、男女のつき合いと、後ろで炎が燃えるというシーンも出てきたりもして、つまり、非常にパーソナルな関係性と、起きている出来事とか社会性みたいなものが、同じ画面の中に同居している場面というのがすごく出てきたし、それは、これまで、たぶん、是枝作品を観てきた人からしても、「あ、そういうシーンというのはあったよな」と思う。だから、そこでスーッと溶け合うというんですかね。

是枝:そうなんですかね。

武田:その感覚は、観て、すごく思ったところではあるんですけどね。

是枝:はい。すごくシームレスにつながったなというのは思ってました。自分の描いてきたものと、演出方法と、今回の坂元さんが――坂元さんが歩み寄ってくれた部分もあるような気がするんですが、とてもいい形でタッグが組めたなと思ってます。でも、今言われるまで、それは自分の中に言葉にはなっていなかったので、なるほどなと思いました。

 

キャスティングの時にバラエティ番組を観る理由

武田:坂元さんも是枝さんも、キャスティングする時によくバラエティ番組を観るというふうに言ってて、それもおもしろい話だなと思ったんですが、それ、観る時というのは、例えば、いろんな映画の番宣とかで出ている俳優さんがクイズに答えたり、トークをしているような時の何を見ているんですか?その俳優の。

是枝:言葉のセンスと間合い。

武田:その番組の芸人さんにどう飲み込まれているかとか、はね返しているかとか。

是枝:戸惑っているなら、戸惑っている様子を見ます。それがいけないわけではなくて、そこに何が出てくるかなというのは見ますし。

ただ、本当に昔ですが、YOUさんと話した時に、「あと5秒でCMです」と言われた5秒で何かを言うかが勝負だと。バラエティは。そこはみんなが目配せをしながら、この5秒は誰に譲るのかということをやると。それがみんなの了解のもとに誰かが発するものに、1人だけそれがわからずにその5秒を奪うと、後ですごく怒られると言うんですよ。それはとても訓練になると。その5秒という時間で何をして何ができるのか、できないのかということは。

武田:その5秒で何をするかを判断するのは、たぶん1秒あるかないかで全体を見渡して、あいつがいくとか、このスタッフのカメラワークとかを瞬時に見て、じゃあ、自分が、私がというふうにいく。それを間違えると後で大変なことになると。

是枝:それは、でも、映画の現場も実は同じで。ドラマの現場も。動体視力と反射神経というのは、持って生まれたものとは言いませんけれども、なかなか訓練で身につかないですよ。そこは、安藤サクラという女優はとてもそれが高い能力を持っているんですね。女優さんとしては。お笑いの中に何人かそれが本当に優れている人がいるなというのは思っています。

武田:安藤さんがインタビューで「私はアクション俳優だ」という言い方をされているインタビューがありましたけど、そういった身体でとりにいくという感じがあるんでしょうかね。

是枝:そうなんですよね。「今の目標はバク転ができること」と言っていましたから(笑)。

武田:じゃ、本当に瞬時に何かを反応するみたいなところがあるということなんですかね。

是枝:役者はやっぱりその能力、身体能力だと思います。一番は。

 

コロナ禍を挟んで『怪物』という作品をどう見ているか

武田:これ、最初、プロットができたのが2018年ということですけど、その後、新型コロナがあって、社会状況も本当に変わりましたし、それこそ個人と個人のつき合い方、考え方、いわゆる世の中で断絶がふえましたとかって、そういういろいろ言われるようなことというのはありましたけど、『怪物』という作品が、コロナ前、コロナ後にずっとあるわけですよね。是枝さんの頭の中には。そこに何か変化というんでしょうか、それが作品に具体的にどう注がれたかということではなくて、コロナ禍、まだ続いていると言えば続いていますけど、どうご覧になってました?

是枝:うーん……。この作品に絡めて言うと、スタートは2018年なので、コロナ前なんですね。撮影がちょうどコロナ真っただ中というか、去年の春と夏。少しゴールが見えた時期かもしれませんけれども。映画が完成してみると、コロナ後の世界を――描いているのは本当に小さな点ですけれども、人と人との断絶というものを予見している脚本だったなというのを

武田:確かにそうですね。

是枝:とても感じました。それはやはり優れた脚本家が持つ時代の先見性なんだろうなというふうには思いました。

自分自身を考えてみても、コロナ禍で大学の授業をやっていたんですよ。リモートで。そうすると、モニターに映っている顔に向かっていろいろしゃべりかける。でも、届いているのかどうかもわからない。マスクもしているので。その子と一緒に1年間授業したという記憶も残らない。このコミュニケーション。これを何かコミュニケーションと言っていいのかどうか。

届いているかどうかわからないと、どうしても言葉が強くなる。顔を見て話していれば、たぶんそこまで言葉にしなくてもわかっただろうことが、伝わらないのではないかと思ってきつくなるというのが、SNSにすごく似ているなと思いながら授業をしていたんですね。なんかそんなことも含めた、それがそのまま描かれるわけではないですけれども、3層構造の物語の先にそういうものが見えてくるといいなというのは考えました。

 

言葉にできない関係性を描くことについて

武田:今回、カンヌでクイア・パルム賞というのを受賞されて、クイア・パルム賞というのは、性的マイノリティとか、既存の性のカテゴリーに当てはまらない人々を扱った映画に与えられる賞ということですけれども、今回、子どもたち2人の間柄にある、何とも言葉にできないような関係性というのをずっと描いているわけですけれども、今回、映画をつくられるに当たって、LGBTQの子どもたちを支援している団体の方に脚本を読んでもらったりとか、あるいは、インティマシーコーディネーターという、俳優さんと作り手をつなぐ方に入ってもらったりと、このあたりの演出というのはかなり考えられたとは思うんですけれども、結構時間のかかるアプローチでした?

是枝:そうですね。プロットの段階で、これはちゃんと勉強した上で演出家として現場に臨もうと思ったので、スタッフも含めて勉強会をさせていただいたり。だからオッケーだとは思いませんけれども、脚本を支援の団体に読んでいただいた時に、今「同性愛」という言葉が出ましたけれども、この年齢の子たちの行動とか自認の段階をどこに置くかということは非常に重要で、最終的には、いわゆる、ゲイであるとかトランスジェンダーであるというような自認以前の、まだ未確定の子どもたちとして描くという判断をしたんですね。それは、ゲイであるとかトランスジェンダーであるという言葉になってしまうと、彼らの中でそれが“怪物”になっていかないので、名付けない。名付けられる前のものとして描く。それはもちろん彼らの中だけにあるのではなくて、いろんな人の中に、いろんな組織の中に芽生えるものとして今回は“怪物”を描いていますけれども、描こうとしていますけれども、そのようなものとして描いたほうが、彼らが抱えている不安というものが的確に描けるのではないかという判断をしました。それは、そういう子どもの支援をしている方たちの意見を聞いて、自分の中で生まれた気づきだったので、そこはきちんと反映させようと思いました。

武田:僕も観させていただいて、いわゆるそういったテーマをネタとして扱っているというふうにもちろん感じはしなかったですけれども、

是枝:ありがとうございます。

武田:むしろ、当事者の方たちがそれを観た時に、とりわけ映画の後半のわりと主題というんでしょうか、そこのモチーフになってくるテーマとして大きなテーマですから、観ていく中でそういった展開があるというふうにすると、そこで、えっ、こういうことだったのかという、ある種、ショックという言葉でいいのか、非常に強いインパクトを与える可能性というのもあるだろうなというふうには思ったんですが、まだ公開して初日なので、いろんな反応というのは目に入っているかどうかという段階だと思いますけど、どういう反応があるというふうに予測されていました?

是枝:いろんな反応があることは理解しているので、自分たちの取り組みに何が足りていて、何が足りなかったのかというのは、これからたぶんきちんと認識して考えていく部分はあるだろうと思いますけれども、クイア・パルム賞をいただいた時のジョン・キャメロン・ミッチェルの先にいただいたコメントが、「ここの映画が描いているのがクイアだけではなくて、型にはめられることになじめずに、それを拒んでいる全ての人たちへの力強いなぐさめになるのではないか。普遍的な人間性を描いた作品だ」という言い方をしていただいたんですね。僕としては、その評価にたどり着けるのであればありがたい。このような描き方をした上で、彼らが抱えた葛藤というのを、何か一般化するということではないですけれども、“怪物”が芽生えてしまう、それは個人の中にも、社会の中にも、家庭の中にも芽生えてしまう状況というのは、マイノリティの中にだけ起きるわけではなくて、マジョリティの中にも起きる。今、むしろ世界中で起きている。そのことにたどり着くということを描く、そのことにたどり着くような作品にしたいなというふうに考えました。その意図が、その意図を理解してくれと言うつもりはないんですけれども、つくっているスタッフたちが共通の認識として持っていたのはそういうことでした。

武田:僕はあの映画を観て、まだ3日4日たったぐらいですけど、僕はこの映画を観たら、もちろん拍手するということでなくて、とっとと映画館を出て、「これはどういうことなんだろうか」というふうにずっと考えるような映画だなというふうに思ったんですよね。それは、たぶん自分の心の中にも、何かモヤッとしたものとか、それは善悪で言うと悪意みたいなものなのかもしれないですけど、そういうものとたぶんずっとつき合ってきて、それが輪郭にならないように押さえ込んできたりということも、たぶん子どもの頃から今に至るまで、ずっと繰り返していると思うんですよね。そのモヤッとしたものというのが、自分の腹の中にあるけど、まだ見たことないかもしれないという感覚というのはどこかにあって、その感覚をちょっと突つかれたというか、なんなんだ……。だから、ある種嫌なことをしてくるなという感じもあったわけですよね。

是枝:とても意地悪な映画だと思います。

武田:そうですね。

是枝:それはやっぱり、子どもたちの目が、たぶん、今、武田さんがおっしゃったみたいに、私たちの中にあるモヤッとしたものを見据えて見返してくるということが観た後に起きて、それは居心地のいいものではないと僕自身も思っていますけれども、大事なのは、作り手も同じように見返されているという意識をちゃんと持つという、そこだけが唯一マジョリティの側にいる僕のような監督が、どう、こういう題材と向き合うかということに対して許される唯一の誠実なスタンスなのかなと思いました。

 

停波発言に係る総務省の行政文書の件について

武田:映画のいろいろとお仕事をされているお忙しい中に、朝日新聞で「放送人よ、このままではいけない」ということで、3月の総務省の行政文書の件について、本格的な議論にならなかったということを新聞にお書きになっていましたけれども。

是枝:はい。書きました。

武田:僕、一番最初に是枝さんにお会いした時が2016年の週刊誌のインタビューでインタビューさせてもらった時も、ちょうど高市(早苗)さんの、場合によっては電波を停止するぞ

是枝:停波発言ですね。

武田:という発言があって、その時に、「放送法というのは、放送局を制限するものじゃなくて、介入から守るものだよ」ということを是枝さんはおっしゃっていて、ある種それと、当然だけど、同じことをおっしゃっていますよね。

是枝:同じことの繰り返しを、7年8年たってまた言わなければいけないということは、これは、しかも、かなり後退してしまっているので、繰り返し言えることは言っていこうと思って書きました。

武田:今回、いろんな論点があって、まず、あの文書が出てきたということと、高市氏の発言、それが有耶無耶になって、最終的に全てが有耶無耶になるという結果になっちゃいましたね。

是枝:そうなんですよね。選挙前だということもあって、何か得点稼ぎに立憲民主党のほうも走った印象がありますし、本来的に言うと、政治と放送の距離というものをどうとるべきなのかということをちゃんと考えなければいけなかったと思うんですけど、本当に言葉尻だけになっちゃったんですよね。辞める、辞めないの話もそうですし。もったいないなと思いました。

こういうことはたぶん裏で起きているんだろうということは、薄々感じてはいましたけれども、こういう形で表に出るというのはめったにないことなので、メディア、テレビが一番きちんとこのことを危機感を持って取り上げていくべきだと、今でも思っていますけれども。

武田:だって、文書に「けしからん番組は」云々かんぬんと言われているわけですから、とりわけテレビ局は、「けしからん番組があったら潰すぞ」と言っている人がいたぞということが明らかになったら、どのテレビ局も普通「ふざけるんじゃないぞ」というふうに。

是枝:こういう時にこそ連帯をするべきだと思うんですけれども。メディアが。決してそうはならないというのが、僕は異常だと思います。日本の放送局は。

武田:是枝さんに聞いてもあれかもしれませんけれども、なんで連帯できないんでしょうかね。

是枝:それは、メディアというものがどうあるべきかという価値観がまだ日本には定着していないんですよね。

武田:まだ定着していない。

是枝:うん。定着できないまま終わるのではないかと思いますけれども。まずいですけど、それは。それは、放送法が立法趣旨と真逆の扱いをされているにもかかわらず、何となく放送局もやり過ごしながら、あまり事を荒立てないで嵐が過ぎ去るのを待っていれば何とかなるんじゃないかって、きっと思っていると思うんですね。今回の問題も、ことさら取り上げて睨まれたくないというのが、たぶん一番根っこにはあるんじゃないかと、すねません、勝手な推測ですけれども、でも、そうとしか考えられない。でした。

武田:でも、そうしたら本当に終わっちゃいますよね、そんなことをやっていたらね。

是枝:権力チェックという役割はもう放棄している放送局もありますから、たぶん、このまま雪崩を打っていくと本当にまずいなと思っています。

武田:そろそろお時間がきてしまいました。

今日から公開中の映画『怪物』、ぜひ劇場でご覧ください。

是枝さん、本日はありがとうございました。

是枝:ありがとうございました。

 

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