爆笑問題の日曜サンデー 2018年2月4日
田中「TBSラジオ『爆笑問題の日曜サンデー-ここは赤坂応接間-』。本日のお客様はタレントの野末陳平さんです。
どうもご無沙汰しています」
太田「ご無沙汰しております」
野末陳平「やあやあ、どうもしばらくでした」
太田「まさかまだ生きていらっしゃるとは思わなかった」
田中「「まだ生きていらっしゃる」じゃないよ」
太田「はっはっはっはっ(笑)」
野末「まだってね、もうそろそろ片づくべきなんだよ」
太田「いやいや、お元気じゃないですか!びっくりましたよ」
野末「外見だけ」
太田「外見が元気なら元気ですよねぇ」
田中「中身も元気だって聞いてますけどね」
太田「中身も元気! 今回頂いた本、これ読んで、頭もはっきりしてんだというのがよくわかりました」
田中「はははは(笑)」
野末「いやいや、それは太田君、違うんだよ。はっきりしてるとこだけ書いたんだよ」
太田・田中「はっはっはっはっ(笑)」
太田「でも、この記憶力。そして『あの世に持っていくにはもったいないここだけの話』」
野末「思わせぶりで」
太田「思わず口が滑ったっていうやつ。これは面白い! 僕が知らない、当然知らない時のテレビ創成期の話とか。面白いですねえ」
野末「逆に、僕はテレビの始まり、ラジオの始まり。民間放送のね。その始まりの時期に一番いろいろやったから。その頃の思い出しかないってこと」
太田「いろいろやり過ぎですよ」
野末「やり過ぎね」
田中「はははは(笑)」
太田「やり過ぎ。凄かった」
田中「さあ、それでは、早速ですけれども、野末陳平さんのプロフィールをご紹介させていただきます」
野末「よろしく」
(BGM 梅沢富美男『夢芝居』♪)
江藤愛アナ「本日のお客様、野末陳平さんは、1937年(昭和7年)1月2日、静岡県でお生まれになりました。早稲田大学文学部東洋哲学科を卒業。その後、三木鶏郎さんが主宰する冗談工房のメンバーとなり、1950年代後半から、テレビやラジオの構成作家として活躍。放送作家ブームとともに脚光を浴びると、サングラスがトレードマークとなり、同級生だった野坂昭如さんと共に“黒メガネ族”と呼ばれました。
テレビ司会者や俳優、ラジオパーソナリティとしても活躍。若い女性タレントに対し下ネタを連呼する役どころでバラエティ番組に(太田「そんな役どころあるか!(笑)」田中「そんな役どころって」)出演することも多く、1968年には勢いに乗って、ピンク映画にもご出演されました。(田中「勢いに乗り過ぎでしょ!」)
1971年、参議院選挙に出馬すると、初当選。(田中「落差、落差」)無所属から始まり、新自由クラブ、税金党の党首、自由民主党を経て、95年7月に4期24年をもって任期満了。
また、執筆活動も精力的にされており、これまでに数多くの著書を出版。中でも『姓名判断』や『頭のいい税金の本』などは、ベストセラーとなりました。現在は、自由気ままにお気楽な独り暮らしを楽しんでいらっしゃるそうです。そして、先月には著書『あの世に持っていくにはもったいない 陳平 ここだけの話』も発売されました。
野末陳平さん、本日のお客様です」
野末「いやいや、どうもどうもありがとう」
田中「ゲストが一番好きな曲、思い出の一曲を伺いまして、その曲をBGMにプロフィールを紹介していますが、梅沢富美男さんの『夢芝居』ということで、この曲は?」
野末「これはさ、梅沢富美男君と僕はずっと長い何十年のつき合いなんだけど、彼の唯一のヒット曲」(笑)
太田「たしかに! デビュー曲であり、ヒット曲」
野末「だから、とっても好きで、内容も、夢芝居といって、僕の86年の人生も、顧みれば夢芝居のようなもんなんだよ。夢みたいな、どこまで本当か、どこまで幻想かわかんないみたいなね」
太田「たしかに」
野末「そのぐらいに長い人生でいろんな人とおつき合いさせていただいて、世話になったと、迷惑をかけたとか、そういうことで今があると」
太田「たしかにね。この本を読んでいると、本当にどこが事実で、どこが……。虚実織りまぜてある感じがして。でも、全部事実なわけですね?」
野末「そうです、そうです」
太田「こんなめちゃくちゃな人生あるのかい、っていうぐらい」
田中「はははは(笑)」
太田「僕が「野末陳平って何者だろう?」っていうのって、晩年の談志師匠といつも一緒にいらっしゃって、「あ、野末陳平さんだ」っていうのはわかるんだけど、「あれ?この人って何者なんだっけ?最初は」って思ったときに、最初に浮かんだのは、参院選に出馬された頃の記憶が頭の中にかすかにあるんですよ。青島さんや何かのタレント議員ブームの時が」
野末「そのとおり」
太田「でも、あの時タレントだったんだけど、どういうタレントだったんだっけな?というのがわからなかったんです」
田中「そうね。俺らの世代だと」
野末「これはね、君がわからないのは当たり前。僕もわかんない」
太田・田中「はははは(笑)」
太田「これが凄いよ」
野末「これはね、「本職は何だ?」と聞かれた場合に、いろんなのがあるんだけども、どれが本職か、今でも自分がよくわからない。その上にですね、全部まとまってない。はっきり言えば」
太田「そうなんです! そうなんです。全部中途半端です」
江藤アナ「あっ!」
田中「中途半端って言うな!」
野末「よく言った!」
太田・田中「ははははは(笑)」
野末「太田君さすがだ。中途半端だ」
太田「読めばわかる」
田中「でも、当時は、それこそ放送作家さんが、テレビとかまだない頃から、だんだんだんだん世に出てきて、出役になったりとかということがよくあったということですかね?」
太田「そういうのは多かったんだけど」
野末「例えば、永六輔さんとか青島幸男さん、大橋巨泉さん、みんな似てますよ」
田中「みんな本業が、別にタレントとか、出役じゃない。もともと」
太田「野坂さんもそうだった」
江藤アナ「裏方。どちらかというと」
田中「そういう人たちがテレビ界とかでどんどんどんどん出て売れちゃった時代なのよね」
太田「それで驚いたのは、陳平さんは最初、軽演劇の作家になりたかった」
野末「そう。本当はね」
太田「本当は。早稲田を中退して」
野末「僕は中退してない」
太田「卒業?」
野末「優秀な成績で卒業した」(笑)
太田「中退なのは野坂さん」
野末「そうそう。だから、漫才をやった時のコンビで、彼は“ワセダ中退”、僕が“ワセダ落第”で、漫才は両方とも落第しちゃった。こういうこと」
太田「この話が凄いんだ!」
野末「本当だからね」
太田「これ、松竹演芸場ですか?」
野末「あのね、今は新宿のピカデリーという映画館になっていますね。あれの昔の建物で、地下に松竹文化演芸場というのがあったんです」
田中「ああ、そうなんだ」
野末「石井均一座とか、いろんな一座がやって」
太田「シミキン(清水金一)がやってた」
野末「そう。シミキンもやりましたよ。で、漫才もやって。その中に入れてもらえたわけだ」
太田「だから、野坂さんと陳平さんが、その日パッと考えて、漫才やったらいいんじゃないかつって、雑誌片手に時事ネタやるんですよ」
野末「そうそうそう。よく知ってるね」
太田「だって、本読んだんですよ」
野末「ああ、本に書いてある」
田中「ははは(笑)」
太田「送りつけてきたじゃないか! 不幸の手紙みたいに」
田中「不幸の手紙じゃない」
太田「それで、そこに、全然ウケなかったんですかね?」
野末「あ、ウケない」
太田「ウケなかった」
野末「はっきり言えば、誰一人、クスリともしない」
田中「はははは(笑)」
太田「芸人というのを甘く見てたと。そこに、楽屋にいたのが立川談志なんですよ」
野末「そのとおり」
田中「師匠、その時、楽屋にいたんだ」
太田「それが初対面」
野末「そうです。初対面。談志ではない。柳家」
太田「小ゑん」
野末「小ゑん」
田中「小ゑん時代」
野末「うん。小ゑんで、その時は漫談をやってました。落語もやり、漫談もやり。そしてその漫談は、白い上下のスーツで、赤い蝶ネクタイでもって漫談をやってた」
太田「それで、「お前らつまんねえな。俺が教えてやる」って言ったのが最初の出会いだった」
野末「そうそう。「うるせえ!」っつったんだ、僕は」
太田「「うるせえ!」っつったんですね。「なんで君に教えてもらわなきゃいけないんだ?」と」
野末「そう。イライラしてるでしょう? ウケないんだから」
太田「はっはっはっはっ(笑)」
田中「まあ、そうですよね」
野末「イライラしてて、最後に、野坂は酒を飲んで出るから」
田中「いっつも酒飲んで、結局は。ははは(笑)」
野末「照明でもっておかしくなっちゃって、呂律が回らなくなった」
太田「はっはっはっはっ(笑)」
田中「その頃からそうなんですね?」
野末「そう。で、田中君、僕が呂律の回らない相手に漫才をやれったって無理じゃん」
田中「無理です」
太田「はっはっはっはっ(笑)」
野末「もう僕もむちゃくちゃになる。それで、最後に頭に来ちゃってね。12分ぐらい全くウケない。「こんなにウケない漫才は他にない!」っつったら、ウワッ!っと笑って」
太田「ドカーンと(笑)」
野末「ドカーンというほど客はいないんだけどね。まあ、そういうようなことがありまして」
太田「で、そん時、客席にいたのが高田文夫」(※)
野末「高田文夫もいたと本人は言っている。見ていない。高田君はまだ小さかったから」
太田「だから、まだ素人の時代」
田中「あの人は十分あり得ますよね。その頃ね」
野末「あり得ます」
田中「新宿でそうやってお笑いとか、末廣亭だ何だも行っているわけだし」
野末「それで言ってるんだ」
太田「「覚えている」っていうんですよね?」
野末「「いかに面白くねえか、俺が知ってるよ!」って」
太田「はっはっはっはっ(笑)」
野末「「お前が知らなくたって他にみんな知ってるよ!」」
太田「あははは(笑)最高だよね」
野末「でもね、その時にね、太田君ね、談志さん。つまり、小ゑんさんが来て、「おい、つまんねえな。笑い方のコツを教えてやろうじゃねえか」っつったんだよ」
太田「はっはっはっ(笑) それを断ったっていう(笑)」
野末「「うるせえ!」って」
田中「後の立川談志になるというほどのあれじゃないでしょう。まだ小ゑん時代だから」
太田「でも、『(現代)落語論』は出ていた時代ですか? まだ出てない」
野末「『現代落語論』を書く前」
太田「でもまあ、生意気だったでしょうし」
田中「白いタキシードでピンでなんかやっていたわけじゃない。談志になる前に」
野末「まあ、ウケてるという。松竹文化演芸場ではウケてる」
田中「知る人ぞ知るぐらいですか?」
野末「そう」
太田「陳平さんも野坂さんもある程度、文では名前が知れてね?」
田中「そうでしょうね」
野末「そうです、そうです」
太田「そういう時代」
野末「少しはね」
太田「凄いです。そっからでも、結構談志師匠とはブランクがあるんですね?」
野末「いやいや、ブランクというよりね、付いたり離れたりね。つまり、付かず離れずです。さっき言ったように、僕が、あらゆる職業とは言わないけど、いろんなことをやっているから」
太田「めちゃくちゃですもんね」
野末「そう。くっついたり離れたり。で、くっついたのが、参議院議員に当選して、彼が第50位で当選して、僕が第52位で当選して」
太田「この話も面白いんだよ」
田中「はははは(笑)」
太田「ねえ。本当は当選じゃないんですね?」
野末「そう。落選。52位だから。定員50だから。それで僕は、当時の法律は今と違って、1人亡くなると、3カ月以内ね。繰り上げ。もう1人亡くなったもんで繰り上げって、悪運が強い」
太田「そうそう。繰り上げ当選(笑)。で、談志師匠は50位だからギリギリ。はっはっはっはっ(笑)」
野末「ギリギリ。それで談志さんは「馬鹿野郎、真打ちは最後に出るんだよ!」なんて言ってた。言ってて、今度は俺が52位になった」
太田・田中「はははは(笑)」
野末「それでさ、「陳さん、おめえ藁人形で五寸釘打ったな?」ってこう言うわけだ」
太田「ははは(笑)最高だよね。 こんな人生あります? 面白すぎるでしょう」
田中「凄いよねぇ」
太田「面白いのは、我々、談志師匠と陳平先生と一緒にいる時に」
田中「ミヤ(?)とかね、一緒にね」
野末「そうそうそう」
太田「あの頃、俺らよく笑ってたんですよ。あの2人、1日2回電話で話して、こんな爺さんになって、ガールズトークじゃないんだから、なに1日2回話すことあんだって」
田中「しかも会ってたりもするしね」
野末「そうです。だから、当時ね、君たち、談志さんの寄席みたいな、そういう会にはよく呼ばれて、僕がその後でやったり、前でやったりした。だから、楽屋ではすれ違う、あるいは会場ではよく会って立ち話とか、それはしてましたよね」
太田「はい、しました」
野末「だから、こういう形で放送で一緒にやるということは初めて」
太田「そうなんです。初めて」
田中「そうなんですよ。なかったですからね、ここまでちゃんとね」
太田「それがなぜ会わなくなったかというと、談志師匠がある時、陳平さんと絶交したっつう(笑)」
野末「そう」
太田「爺同士がよ(笑)」
田中「絶交ってさ、小学生とかがやることじゃん」
太田「大笑いしたよね(笑)」
田中「お前絶交だからな!みたいなことで」
野末「だけど、それは本当ですよ。1日に2度は電話をして長話をしてる仲でしょう? しょっちゅう番組もやってた。テレビもやってましたね。ところがさ、何かの具合でね、会話が時々ずれる時がある。その時、普通の人は」
太田「ほとんど合わないでしょう(笑)」
野末「合わなくても合わせるんです。機嫌が悪かったから、僕がその時。だからね、「もう面倒くせぇから切るぞ」ったら「会話にならなねぇよ」つっうから、「だから切るんだよ」つって、ガチャッ!って切っちゃった。そしたら談志が怒ってねぇ。「陳平とは絶交だ!」つって」
田中「絶交とかって久しぶりに聞いたもん」
野末「だから、どの弟子にも全部電話して「陳平が来たら楽屋に入れんな。(田中「子どもだよ!(笑))「弁当も食わすな」と、そういうふうに触れまわった。触れまわっちゃって、談志さんがスッとしたんでしょう。たぶんね。スッとしたんだけど、言われた弟子たちはみんな怖がってるんだ」
太田「困りますよ」
野末「談春なんか僕んとこに電話きて「師匠から言われたんですけど、どうしましょう」って。「どうしましょう」じゃないよ!」
太田「ははははは(笑)」
田中「それって結局どれくらいの期間そんな感じだったんですか?」
野末「それがですね、田中君、聞いてくださいよ」
太田「これ、面白いんですよ」
野末「面白いんじゃないんですよ。要するにね、絶交は絶交。僕からガチャッと切って。そうしたら談志さんが広めたわけでしょ? 絶交が落語界に全部知れ渡った」
太田「大事件でした、あれは」
野末「大事件だ、あの時はね」
田中「みんな笑ってましたけどね」
野末「そう。笑ってて、頭のいい奴はね、「ああ、あれは『笠碁』だよ」と」
太田「そこなんだよね」
野末「ね。頭のいい奴は言ったんだ。碁敵だから」
太田「『笠碁』という落語があるんです」
野末「それだと言っていたが、ほとんどの人は師匠の怖さに怯えて。直接電話がかかったんだから。「陳平入れるな! あの野郎とは絶交したんだ」」
田中「それを弟子に電話する談志師匠もどういう気持ちよ?」
野末「すごいでしょう? それで、結論は簡単なんですよ。一月半ぐらいだったかな、僕が気まぐれに、居るか居ねえか確かめようと思ってね、電話したんです。(太田「ほんと『笠碁』なんだよ(笑))そしたらね、「うーーん」てきたから、「談志?」って言ったんです。したら、「そうだよ、陳平だな?」って言ったの」
田中「はははは(笑)」
太田「待ってたんだよね?(笑)」
野末「そう。それでね、太田君ね、それはたしかに待ってたんだよ。お互いに。だけどね、その待ってた間に、息子の慎太郎さんから打ち明けてもらったところは、僕の留守中に何度も家へ尋ねてきている」
太田・田中「ははははは(笑)」
野末「ベルを押してるんだよ。うちはね、いろんなセールスが来るから、ベル切って、押しても鳴らないようにしてる」
太田「ははははは(笑)」
野末「僕が居てもわからなかった。それが1つ。それから、もう一つのエピソードはね、僕の留守中に尋ねてきた。もう一つは、留守電がしょっちゅうかかるんです。留守中にね、留守電にしとくとかかってる。大抵の人は要件とか本音を言うんですよ。何にも言わない電話がある」
太田「うはははは(笑)」
田中「もう、女子だよ!女子!もう彼女。ははは(笑)」
野末「それでね、僕が再生を押すでしょう。そうするとね、何にも言わないでね、「ハアッ」ため息つく」
太田「はっはっはっはっ(笑)」
野末「そのため息がね、絶対に談志なんだよ」
太田・田中「あはははは(笑)」
太田「この本を読んでて、青島さんとかの名前が出てくるじゃないですか。巨泉さん、青島さん、要するに当時の放送作家。どうも陳平さんは、青島さん、巨泉さんのことはお嫌いだったのかなあと」
野末「好きではないね」
田中「はははは(笑)」
太田「どの辺が」
野末「好きではないというのは、タイプが違うわけだ。気が合わない」
太田「気が合わない」
野末「そう。談志さんとのように会話が弾んでいかない。だから、それは、お互いに相性が悪いっていうかね。つき合いが悪かったというか、まあ、何となく好きではないタイプ。永六(輔)さんは好きなほうだね」
田中「永さんは皆さん好きですよね」
野末「青島さんと巨泉さんは癖があり過ぎて、その癖が僕がちょっと合わなかった。談志さんも凄い癖があるんだけども」
田中「あの癖は合ったんですね?」
野末「合った。波長が合った」
太田「最後のほう、ハリセンで叩き合ってんの、大笑いしたよね?(笑)」
田中「老人の喧嘩みたいな。はははは(笑)」
太田「ハリセンで叩き合ってるんだよ」
野末「あれ、楽しかったね」
江藤アナ「楽しい(笑)」
太田「はっはっはっ(笑)」
太田「(メール)珍道中だったなという思い出深い旅はありますか?」
田中「いろんな旅されたでしょう?」
野末「それはやっぱり談志さんと旅した時が面白かったね」
田中「例えばどういう旅なんですか?」
野末「例えば、金華山。仙台の。宮城県の。金華山沖でもって海に潜ってね。なんかいろいろ獲る。談志さんて凄いスポーツマン」
太田「海が好きでしたね」
野末「海が好きで、潜ってね、獲って。僕は怖くて潜れないから、船の上にいた。そうしたら引きずり下ろされちゃってね」
太田・田中「あはははは(笑)」
太田「死んじゃうよ(笑)」
野末「海の中に。泳げなくはないんだけど、怖いからね。だって、それはそうでしょう。沖ですから。海岸縁じゃないんですから」
田中「そうですよね。怖いですよね」
太田「はっはっはっ(笑)」
野末「そう。船から談志さんは平気で飛び込んで、下で潜っていろんなの探すんです。僕は怖いから、船の上でブルブル震えてた。したら、「陳平来いよ!」って。「来いよ」じゃないんだよ。手引っ張られて」
太田「はっはっはっはっ(笑)」
野末「海の中へ引きずり下ろされて」
太田「でも、最後のほうはほんとに談志師匠といっつも楽しそうに」
田中「親友みたいな感じでね、本当にね」
太田「あんな晩年て、談志師匠もおそらく相当幸せだったんじゃないかなあと思うんですけどね」
野末「お互いにそうですね。僕もだから、談志さんがいなくなってから凄い寂しいんですけども、1日に2度もですね、毎日ではないですよ。1日に2度、平気で電話をして飽きないというか、話題が尽きない」
太田「あり得ないですよね」
田中「そんなことないじゃないですか」
太田「ないよ」
江藤アナ「欲しいな、そんな人」
田中「若い頃なら一時期そういう人はいるかもしれないけど」
江藤アナ「あったけど、だんだん」
田中「このお年でそういう親友がいるっていうことが凄い」
野末「ましてや、田中君、あれですよ。男女であれば、また別だからね」
田中「そうですね」
太田「肉体関係はなかったんですか?師匠とは」
田中「ははははは(笑)」
太田「はっはっはっはっ(笑)」
野末「談志さんと? ありませんよ、そんな。いくらなんでも。あったら問題でしょう? えらいことだ。そこまでないのがいい」
太田「もう一回、ちょっと陳平師匠にはね」
野末「僕、師匠じゃないよ。君だよ」
太田「君とは呼べないですよ」
野末「呼べない?」
太田「陳平君にはね、はっはっはっはっ(笑)舞台に立って漫談やってもらいたいです。はっはっはっはっ(笑)」
田中「さあ、それではね、ご本の紹介も」
江藤アナ「新刊本をご紹介します。
先ほどからお話にも出ていますが、『あの世に持っていくにはもったいない 陳平 ここだけの話』、こちらが青春出版社より発売中です。
気づけば80代半ば。まじめな大学生から放送界、政界と渡り歩いてきた中で、数多くの有名人、著名人たちとの思い出もたくさんございます。テレビ作家時代、波瀾の10年を彩るあの人この人。軽演劇の虜だった学生時代の思い出。書く、喋るの二足のわらじ時代に出会った芸能人たちと。永田町のあの人。余生は立川談志中心で気ままに生きるなど、今だから話せるここだけの話をこっそりとお話ししますということで」
太田「最後は泣けます」
野末「談志さんの文章がね、本当にありがたい、僕は」
太田「本当に泣きました」
野末「あれね、僕のために書いてくれて、いつ本になるかわからないというね。もう亡くなるなんていって。それで書いておいてくれたんだよ。「いつか本にするから、頼むから原稿書いて」って言った。そうしたら、「よし、勝手に書くぞ」といって、あの原稿を書いてくれた。僕は大事にしてて、このチャンスにあれを公開したというかね。談志さんの文章をね」
太田「すばらしいですよ」
野末「嬉しいですよね」
太田「先生は本当に人が好きで、人柄がまた人に好かれてっていうのが、俺、文章を読んでても凄くわかりますよね」
野末「ありがとね。そういっていただくと、凄い嬉しい」
太田「感動しました」
田中「もうお時間がきてしまいました」
太田「無茶苦茶な人生です」
田中「無茶苦茶です。ねえ」
野末「まだ話はあるんだけど」
田中「あるでしょ、そりゃあ」
太田「じゃあ、2回、3回とぜひ」
野末「生きていたら」
太田「じゃあ、来年ぐらいまで」
江藤アナ「そんな!」
田中「そんなもんなんですか? 実力はまだまだありますから」
太田「そういうことで」
田中「ということでございまして、どうもありがとうございました」
野末「お世話になりました」
田中「本日のゲスト、野末陳平さんでした!」
※ 2月5日の『ラジオビバリー昼ズ』にて、高田先生は当時中学生だったので、その場にはいなかったと語る。