ライバル

 

オリエンタルラジオ 中田敦彦オールナイトニッポンPremium 2018年12月19日

 

中田敦彦「次のメールいきましょう。

ラジオネーム19歳のデイドリッパー。

中田さんはじめまして。人生で初めてラジオ番組にメールを送ります。

僕は医学部志望の浪人生です。勉強に疲れたらたまにラジオを聴くのですが、たまたま中田さんのオールナイトニッポンPremiumを聴いて、「何者でもないからこそ何でにもなれることをこのラジオで証明したい」という言葉に感動し、また、そのラジオの内容の面白さにも感動し、それからタイムフリーで全ての回を聴きました。毎週このラジオだけを楽しみに生きています。(「ラジオだけを頼みに生きてるんだ(笑)」)

ところで、本題なのですが、僕は大事な試験が近づくと落ち着きがなくなってしまい、震えて夜も眠れなくなります。そんな不甲斐ない自分が嫌いです。模試ではいい点が取れるのですが、いざ本番となると、頭が真っ白になってしまいます。もうすぐセンター試験で精神バランスがよくない状態です。

中田さんは大事な日(例えば大きな特番や生放送や音楽ライブやプロポーズ、結婚、子どもの出産など)の前日にはどのようなことを考えて過ごしましたか。その時、不安などは感じなかったですか。もしも不安を感じていたなら、どのように乗り越えましたか。いつも成功してきた成功者の中田さんからのアドバイスをぜひいただきたいです。いま、何者でもない自分ですが、来年は第一志望の大学に合格し、将来は小児がんの専門医になりたいです。

 

小児がんの専門医か、すごいな。

うーん、そうかあ…。本番で、ね、あれが出ないっていうことなんだけども、人にもよるんだろうけど、基本的にはみんなむちゃくちゃ緊張するよね。何で緊張するかっていうと、自分にとって絶対に大事な場面だからだよね。だから緊張しない人はいないですよね。緊張しない人は、絶対に大事な場面をスルーして生きようとしてるもんね。だから、それはそれでいい人生なんだろうけど、一個上のステージに行くぞとか、勝負するぞっていう時は、必ず不安に苛まれるからなあ。

でもね、僕としては「死ぬほど準備する」っていうね、それしかないと思うんすよ。何もかもやり尽くして挑んだら、逆に言うと、何もかもやり尽くしている状態が辛過ぎて、本番の日、ようやく助かるって思うのよ。

俺もさ、『しくじり先生』っていう番組でプレゼンする時も、ほんとに、ほんとに人生賭けてたんすよ。あの番組に。なんでかっつうと、あの番組、何もかもの思い入れが詰まってて、言ったら、あの時最初に出た時、すっげぇ悔しかったんすよ。

というのも、オードリーっていう存在は、俺にとってコンプレックスなんですよ。オードリーさんは5年先輩なんだけど、言ったら、俺らのほうが早めに世に出たのね。で、俺らが『武勇伝』バブルでバーン!て行ってる時は、まだオードリーさん出てなかったんですよ。俺らがバーン!と崩れ始めた時に、M-1で準優勝して大ブレークするんですね。

そんな時に、俺、『いいとも』のレギュラーだったんだけど、いつクビになってもおかしくないって言われてたの。オリラジ、もう落ち目だから、いつクビになってもおかしくないって言われてた時に、オードリーがブレークするのを見て、絶対俺らと交代だ。もう絶対交代だ。オードリーが来て、俺らコンバートだ。絶対だもん、それはって思った時に、ぎりコンバートされずに、どうなったかっていうと、同じ曜日になったんですよ。同じ曜日に、オードリー追加だった。

でもさ、スタジオではオードリー出てきたらギャーーーー!なるわけじゃない。俺らは1~2年前まではギャーー!言われてたのに、対比でなるわけ。そこで、もう俺、必死こいて、なんとか『いいとも』残んなきゃと思って、何でもやるわけですよ。

出番前にオードリーさんの楽屋行っていろいろ話聞いて、なんか話つくんなきゃとか、スタッフさんにも毎回反省会聞きに行って、なんかしなきゃ、みたいな。『いいとも』が最後の砦だと思ってたから、全部やり尽くしたんですね。

それでこう、やってた時に、それでも『いいとも』クビになった日とかは、クビ宣告された翌日も『いいとも』だったんだけど、翌日初めて遅刻するんだよね、俺。ショックで起きれなくて。それぐらい精神的にかかってて、オードリーっていうものがあって。

そっからもさ、俺らは『オールナイトニッポン』を続けられなかったんだよ。でも、オードリーさんは続いてんだよ。で、今年、それで武道館も行くわけでしょう。

オードリーっつうのは、本当に、お笑いの俺らのジェネレーション、て言っていいと思う。前後5年ぐらいで言うと。本当に全員がさ、血だらけになって息絶えた中で、まだ走り続けてるんですよ。オードリーが。

そのオードリーの若林さんが、俺はゴールデンの番組で一個成功するというのだけは、要するに、城を持つのだけは勘弁してくれと思ってた。まだ追いつきたいって思ってたの。

そんな時に、深夜で、言ったら若林さんの番組があると。それが『しくじり先生』だった。ゲストはしくじった奴。失敗した奴なの。それの初回だよ、レギュラーの。深夜レギュラーの初回がオリラジなの。こんなことあるか。

俺はなんでライバルだって思ってた人の前で、負けたっていう話しなきゃいけねぇんだよ。だけど、俺はもう、でも、それでプライド持って、これで出なかったらダメだから、嫁にもいろいろ言われて、「あんた失うものないんだから戦ってこい」って言われて、「わかった」って、打ち合わせの時に全部用意して、これをやらせてくれないんだったら出ない。俺は自分のプランで負けるんならいいけど、人のプランで負けるのだけは許せないから、許したくないから、俺、全部の自分の喋りたいこと喋って、それでいいかどうか見せてくれって叩きつけて、それで、「藤森すまん」と。「今回、俺が、俺が喋りたいこと全部言っていいか」「わかった」。

それでやって、それがよかったってなって、それでさ、何回か呼ばれるんですよ。ゴールデンへガンて上がるんですよ。そんな時にさ、ゴールデン上がらせてるわけだし、わけがわかんないんだよ。上がってほしくない。でも、俺、出たい。どういう状況? だから、せめて出るからには、絶対に「最高だ中田」ってなって終わらせたいし、若林さんにだけは負けたくねぇ!と思って、全力で球を投げるっていうね。

だから、死ぬほど練習して、全部自分で原稿をつくって、みんなに聞いてもらって、5回、6回練習して、本番行く時に、俺、当日、1時間、2時間前に入って、スタイリストに喋って、マネージャーに喋って、ディレクターに。全部よ。1時間分全部喋ってから、体温ギンギンに上げて、若林さんの前に登場すんよ。

その時ね、もう教壇に立つ時にはどうでもよくなってんだよ(笑)。もう疲れちゃって。緊張とかもないのよ、そうなると。

だからね、19歳のデイドリッパーも、死ぬほど頑張って、もうこれ以上ないっていうぐらい頑張ったら、テスト当日、ちょっとどうでもよくなってるから(笑)、その境地をね、ぜひ共有したいなって思ってます。

頑張れ!」

 

 

タイトルと中身が合っていないことは重々承知なのだけど、ライバルの部分だけを抜き出すのもなあと思い、前後も書き起こしました。当時、ライバルをオードリーと言うことに違和感があって、モチベーションを保つためにそういう発言をしていたのかなと思っていたけれど、ライバル発言の一端がわかるお話。 

 

ツィッターで見る限り、

「ライバルはオードリー」発言の初出は2011年7月15日のよしログで。

その後、月刊オリラジで「(ライバルは)今はオードリー」。

2013年2月3日、『ヒルナンデス』でナンチャンに「ライバルは誰?」と聞かれて、あっちゃんが「オードリーです」と。

2013年2月22日オリラジANNRであっちゃんが「何度もオードリーさんをライバルだと言っている。自分がライバルだと言うということは、ちょっと負けてるということ」「背伸びしてライバルをオードリーさんと言っている」と。

2014年10月のトークライブでもライバル発言。