世の中わかんないもんだからね

 

佐藤満春in休憩室 2018年2月10日

 

サトミツ「かれこれ7~8年出させてもらってるんですけど、漫画家のしりあがり寿先生の「さるハゲロックフェスティバル」というイベントがありまして、通称「さるフェス」っていうのが新宿のロフトでやっているんですね。大体土日で、土曜の夜から日曜まで夜通しでやる、みたいな感じなんですけど、知り合いを通じて、2010年とかぐらいから出させてもらってまして、最初は会場内に電波を飛ばして、すごい奥のほうから『佐藤満春のジャマしないラジオ』という名前で、会場内で聴こえる短波ラジオみたいなことをやるっていう企画でやってて。

そのうち、会場内じゃなくて、それがネットの音声配信みたいなものを、「さるフェス」に来れなかった人向けに今の状況を伝える、みたいなことをやって、そっから、会場内で「トイレ講座」をやったりとか、何となく毎年かかわらせてもらってて。

すごい不思議なイベントなんですよ。いろんな役者の人が、峯村リエさんとか鈴木砂羽さんとか、あの辺の人が普通に豚汁作って売ってたりとか、カレー作って売ってたりとか、その辺ウロウロしてたりとか。あと、本当に、あ、こんなところに急に普通の大物がいる。松尾貴史さんとかが普通にその辺ウロウロして、お酒飲んで、ああだこうだ言ってる、みたいなとか。

で、毎年、満席というか、溢れてるの。チケットが完売して。まあまあの値段する。

いつも思うのが、この客層は普段どこにいるんだ?っていう話なんです。で、いろんな漫画家の知り合いとかに聞いても、わかんないと。全然どこの人……。漫画家ファンでもないし、演劇ファンていう感じでもないし、何となくちょっと、サブカルっていう括りにするのが正しいかどうかわかんないけど、そういったちょっと面白が好きな人が新宿ロフトに年1回集まってる、みたいな空気でやってるんですよ。

僕も何となくそこにかかわらせてもらってて、今年はテーマがカレーだったのかな。カレーだつって、「カレー大喜利をやります」ということになって、それ、俺、当日聞かされるんだけど、それを。で、よしもとの芸人さん何人かと、あと、それこそキッチュね。松尾貴史さんと横並びでカレー大喜利をやって。

で、キッチュって、俺、その時はキッチュ……キッチュなんだよ、俺の中では。俺の中ではというか、あのねえ、松尾貴史さん、で、あのねえ、中学生の頃なんだけど、『Oh!デカ』があるわけですよ。王道のラジオ好きが『Oh!デカ』を聞くわけ。『伊集院光のOh!デカナイト』ですよ。で、『岸谷五朗の(東京)RADIO CLUB』、『レディクラ』って言われるのもあって、『Oh!デカ』が多数派で、『レディクラ』がある。ちょっと大人。下ネタ多い、みたいな感じ。

で、『Oh!デカ』派主流で、『レディクラ』があって、もっと少数派に、文化放送だったと思うんだけど、キッチュがラジオやってたんだよ、たしか。で、クラスに1人だけ聴いてた人がいて。キッチュを。「何そんなマニアックなの聴いてんだよ、お前よぉ!」とかって、俺言ってたんだよ。「『Oh!デカ』が面白いだろう!」みてぇな。そういう論争があるわけ。ラジオ好きからも。

それで、俺さ、それが中学の時だから、幾つよ? 中学か高校だな、たぶん。15とかでしょう、たぶん。俺がもう40になるからさ、25年前とかになるわけ? 恐ろしいな。その時、25年後にまさかキッチュとカレー大喜利をやることになるとは思わず、「何そんなマニアックなの聴いてんだよ!」って言ったのを、俺チョー覚えてて(笑)。知らないよ。当時から大人気番組だっただろうけど、俺のコミュニティだけで言うと、『Oh!デカ』派が多かったから(笑)。

キモト君ていう、後にどっか国立の大学へ行く、チョー頭いい彼がいて、私立の中学(?)へ行ったんだよ。穎明館というめちゃくちゃ頭いいところに。その彼がキッチュ派だったんだよ(笑)。で、俺は、チョー秀才の頭いい奴に「お前、何その頭、なんだ勉強ばっかして、そんなの聴いて!」みたいなこと、ああだこうだ、ぶつくさ言ったっていうのを、その「さるフェス」でカレー大喜利をしながら、すごいいろんなことを思い出して。

だから、キッチュが出した答えに異様に笑ったの。その時の謝罪も込みで。はっはっはっ(笑)「あん時はなんかすいません」ていうのを、いや、大喜利の回答もめちゃくちゃ面白い。絵も上手いから。面白いんだけど、よりたくさん笑うということで、謝罪を2018年一回してきたっていう。25年前の(笑)。たぶんやってたと思うんだよなあ。今、インターネットで調べたら出てくるんだろうけど。しかも、そんなことを言ってるのを明確に覚えてるんだな、俺はと思って。

翻って、自分の番組『佐藤満春in休憩室』だって、ともするとそういう対象になりかねないわけだから、今、皆さん聴いていただいてて、「お前、何そんなの聴いてんだよ!」って言われてる方も多いかもしれないけど、25年後、俺がその彼と大喜利をする羽目になるかもしれないから(笑)。世の中わかんないもんだからね。いろんなこと言われてるかもしれないけど、25年後言ってる人と俺は新宿ロフトで急にカレー大喜利をしてるかもしれないんだから、世の中、出会いとかってわかんねぇもんだなと思いますよね」

 

サトミツ「そんないろんな出会いがあった2018年のスタート、あっという間に2月ということなんですけれども、僕は、先ほどもお伝えしましたように、『Oh!デカナイト』という伊集院さんの番組がラジオの原体験になっているわけで、そもそもお笑い芸人になろうと思ったのも、お笑いがすごい好きだったのは当然あるんだけど、ラジオ番組を自分でやりたいとか、ラジオにかかわりたい。

当時、伊集院さんがラジオをやってて、何の人か知らなかったんだよね。オペラ歌手がどうこうみたいなことを言ってたりとか、なんか、ただの面白いおじさんだ、みたいな。おじさんて言ったって、当時の伊集院さんは20代とかだと思うけどね。俺の10コ上だから。それで、どうやらなんかお笑いの人らしいぞ、みたいなことになるわけです。

で、伊集院さんて今ほどテレビに出てなくて、すごい面白い話をするだけの人だつって、で、忘れもしませんけれども、中学2年の時に、僕が14とかだから、伊集院さんも当時24とかなんだよな。『Oh!デカ』のイベントがあって。神宮球場だったと思うけど。ARBっていうのをやってたんすよ。ARBって、荒川ラップブラザーズのほうのARBね。

で、ARBのイベントだったかなあ。か、『Oh!デカナイト』のイベントだかなんか忘れたけど、それで、「伊集院光を生で見れるぞ」っていうことになって、申し込んだんだっけなあ。抽選で当たって、見に行くぞって友達となって、行ったのよ。

初めて生で見るわけじゃん、伊集院光を。「どんな人なんだろうね」とかいって、クラスの友達と話しながら行って、どうしても、すごい面白い話をする大人、みたいなことだから、結構かっこいい渋めの俳優さんみたいな感じの人が出てくるようなイメージでいたのよ。それこそどっちかっつうと岸谷五朗さん的な人を想像していたというか。見た目で言うと。出てきたら、すげぇデブだからさ、ええーっ!?つってびっくりした思い出がある。

それでさ、ARBのラップを聞いて、ribbonていうアイドルが、3人組。永作博美さんがいたグループのライブがあって、伊集院さんが話してたの覚えてるなあ。

で、後に、そうやって将来のことを考えたときに、ラジオをやってこう。やっぱそういうのを仕事にしたいなと思ってお笑い芸人を目指して、27の時かな、俺が。伊集院さんに初めてお仕事でご一緒するんだけど、当時、『虎の門』という番組がやってて、「お笑い Tiger's Gate」っていうところに出て、それの審査員だったかな、ゲストで伊集院さんが出てらっしゃって。

俺、本当にほかのタレントさんにこんなことしたことないけど、『虎の門』が生放送だから、終わって、伊集院さんが来るであろうエレベーターの前でずっと待ち構えて、伊集院さんて絶対「ファンです」って言われるのあんま好きじゃない人だから、それでも、なんかいても立ってもいられなくて、「『Oh!デカ』からずっと聴いてて、実は伊集院さんに憧れて、僕、芸人になって、今、こういう仕事をしてて、今日初めてご一緒できました。ありがとうございました」っていのうを、目は見れなかったけど、言って。

「幾つ?」って言われて「27です」って言って、「ああ、そうなんだ」とかって、「おじさんはね、37になったけど、今でも喋ってるからさぁ」みたいな話を優しくしてくださって、「ああ」って思いながら、帰り原付で帰ったんだけど、泣きながら帰った思い出あるな。六本木から久我山の家まで。当時、風呂なしのアパートに住んでたけど。

やっぱり生きてるといろんなことあるっていう。さっきの松尾貴史さんとの出会いもそうですけど、ラジオの原体験のところから、こうやって何となく続けて、お笑いも頑張って、ラジオの仕事もこうやってやれるようになって、みたいな。それで、トイレが好きだつってこういう番組やらせてもらって、いろんな人と出会えてっていうのが、すごい幸せな話だし、すごい贅沢だななんていうふうにもすごく思うし。

逆に、自分がさ、出る側の仕事もさせてもらってて、わかんないけども、いろんな人が、僕がこういうとこでお話をさせてもらってる以上、いろんな人の耳にこれが届いててさ、いろんな人の生活に本当に1ミリでも2ミリでも影響を与えてる可能性があるわけじゃないですか。だから、そういう仕事をしてるんだなと思うと、なんかすごくありがたくもあり、身が引き締まる思いというか、すごい考えさせられるなあ、なんていうふうに思う年始でございました。

松尾貴史さんの出会いから、あの時伊集院さんに会えたなとか、いろんな思い返せる年の始まりでございました」