人はなぜ死なせてもらえないのか

 

“あの人”が知りたい超質問バラエティ 究極の一問 2019年6月29日

 

北川悦吏子:「人はなぜ死なせてもらえないのか」という難問。

鴻上尚史:いや、というか、こういう質問をしたいということは、北川さんは死にたいの?

北川:死にたくないよ。今でしょ? ジャスト・ナウでしょ? 今は全然そう思ってないけど、私、ずっとほら、闘病生活長いじゃないですか。すごく酷い目に遭っているので、どっちか選べてもいいんじゃないですか、「もっと頑張りますか?」か「もう、よく頑張ったね、いいよ」という選択肢があってもいいんじゃない?っていう。

病院に行くと、治すということが前提で語られはじめ、それを全部クリアして「生きなさい」という前提で医者は言ってくるわけですよね。私はやっぱり、もうほんとに嫌なの。痛いのが。痛いのと怖いのと、どうなるかわかんないオペとかが嫌なんで、「大丈夫、逃れるすべがあるよ」っていう意味での死を与えてあげたら、私、周りに難病の人とか障害者の人、結構いるんですけど、友達で、わりとみんなね、ちょっと楽になるんじゃないの?逆にっていう。

鴻上:なるほど。

北川:あくまでも自分の切実な気持ちとしてこれを言いたいっていう。

鴻上:それは、だから、俺に聞いたのは間違いだったね。俺もだってそれは…

北川:そう思ってる?

鴻上:うん。そう思ってるもん。それこそ、世界でよくある例みたいな、治療の可能性がないとか、それから、耐えがたい苦痛がずっと続いているとか、幾つかの条件をクリアしたら、それこそ、スイスもそうだし、オランダもそうだけど、安楽死というのは全然あって、俺なんかもいいと思うけどね。

 

鴻上:あれじゃないかな。みんな責任をとりたくないからかもしれないね。お医者さんが、つまり、安楽死してもいいですよっていうふうには責任をとりたくないし、例えば、北川さんがそういうことを選ぶといったときに、親族の人に対して、なぜそういうことをさせたんですか、みたいなことを責められるんじゃないかとか。

北川:うちの娘は「それ、医者にやらせるのは酷だよ」と言っていました。「たぶん医者の仕事じゃないと思うよ」って言って。

鴻上:医者の仕事は、必要な情報を渡すことはする。ただ、で、「じゃ、死にましょうか?」はやっぱ言えないよね。

北川:そうなんですよね。

鴻上:それは、やっぱりジャッジするのは本人だよね。

 

鴻上:死っていうか、それをすごい、こう、安楽死尊厳死もそうなんだけど、ちょっと脇に置きがちだよね。

北川:そうなんです。死っていうそのものがすごく暗く重たくて、終わりみたいな刷り込みがなされていますよね。私はでもね、死の感覚は変えたい。そう思って『半分、青い。』もちょっと書いてた。ものすごく、死ぬということを平気で言わせてるんですよ。でも、もうちょっとカジュアルに死を捉えてほしいと思って。

 

北川:今まで、私、一回死にかけてるんですけど、たまたま友達の事務所で倒れて、救急車で運ばれたんですけど、血圧がめちゃくちゃ低くて、「私、慶應病院です」と言ったら、「そこまで行ってたらヤバいです」って言われて、「あ、もしかして、今、私、死ぬ?」とか思って、何か遺言言おうかな、どうかなと迷ったんですけど、結局助かって、こうやっているんですけど、その時死んでても結構よかったかなって。

鴻上:いいタイミングって、何がいいタイミングだったの?

北川:その後、こんなに生きて、5~6年かな、生きたの。生きて、朝ドラを書いてすらも、ああ、助かってよかったとは思ってないんですよ。

鴻上:ほう!

北川:あの時死んでても結構いい終わりだよねって思うんですよ。

鴻上:ほう。

北川:だって、いつか死ななきゃいけないんですよ。

鴻上:もちろん、もちろん。

北川:そうしたら、また、すんごい悔しい思いしてさ、闘病して死ぬの嫌じゃん。

鴻上:ああ。それは、本当に闘病が嫌だったんだね?

北川:闘病って嫌なんですよ、すごく。

鴻上:嫌なんだ。そうか、そうか。それは俺もわかんないな。

北川:わかんないか。

鴻上:その長い闘病の気持ちが、経験がないからね。

北川:ほんと?

鴻上:でも、わりと尊厳死に関しては、わりと今普通に広がってるっていうか、アンケートで「延命治療を受けたいと思いますか?」っていうのが、90%以上が延命治療なくていいんだっていう、寿命のままに死んでいいというふうに言ってるってことは、ずいぶん変わってきてると思うけどなぁ。

北川:それをもうちょっと私は引き寄せたい。もうちょっと楽にしたい。死なせることが優しいことかって変な話だけど、でも、そういうこともあると思うんですよね。

 

鴻上:そういうドラマ書けばいいじゃないですか。これ、結構日本の文化変えるかもしれないですよ。

北川:そうですか?

鴻上:安楽死を選ぶかどうかの話。こんなすごいテーマをエンターテイメントとしてドラマにできたらすごいよね。

北川:あんまりこういうことばっかり考えてたくはないんですけどね(笑)。

鴻上:なるほどね。すごいなぁ。そのタフさがすごいんだよな。

北川:もしかしたら変わるのかなっていう感じが、日本がっていうか、環境が、もっと空気が緩くなって変わって、どうしても生きなきゃいけないよっていうことじゃなくなっていくのかなっていう。もしかしたらそういうことってあり得るのかなって。私だけの問題ではなくて、ものすごく今、一般的なことになって、もしかしたら、人々って80とか90になってくると、よりこういうことを思うのかもしれないから。

鴻上:次、どんなドラマ書きたいですか。

北川:ライフワークとして、どうしても医者、お医者さんものは書きたいと思っていて、今、すごくいっぱい医療ドラマがありますけど、医者側から見た医療ドラマという気がするので、患者さんから見た医者ものというのがいつか書きたいし、それは早くてもいいのかなというふうに思っています。

 

ナレーション:脚本家 北川悦吏子。自身の闘病生活から、死を前向きな考えで捉える一方、ドラマでは一貫してあるメッセージを送り続けている。それを象徴するワンシーンが『ビューティフルライフ』にあった。

 

木村:俺、思うんだけどさ、どんな人生でも、どんな人生でも人は絶対に幸せになる力を持ってると思うからさ。

 

北川:これは私のテーマですね。『半分、青い。』もこういう気持ちで書いたし。10万人に1人で大腸全摘するわで、オペしてみたら元気になるかと思ったら、そうでもなくて、いろいろトラブルがあって、そういう人生でも、やりようはあるよ、幸せになる方法はあるよって、今、木村君が言ってるけど、それをずっと書いてる感じですね。工夫次第でとか、人間はやっぱり知恵があるから、その知恵を使えば、何とか人生を楽しく生きる方法がどんな状況でもあるのではないか、というのが私のメッセージになっていきました。

 

 

スタジオ

若林:うちの親父は肺だったんですけど、肺ってモルヒネが効かないんすよね。痛みが取れないっていう。2カ月ぐらい「早く死にたい」ってずっと苦しんで言ってましたけどね。もしオッケーだったら、俺も「そうだね」って言ったかもなあっていうのを、ちょっとV観ながら思いましたけどね。

 

 

ライフワークとして書きたいものがありつつも、あの時死んでいてもよかったという感覚。

いま、100幸せではない。50ぐらい幸せで、50ぐらいうまくいっていない感じがあって、消えたいと思う日もあって、生きててよかったと思う日もあって…。