藤子不二雄と爆笑問題

 

伊集院光とらじおと 2018年10月15日

 

伊集院光「『まんが道』世代だから、いまだに『まんが道』という、自分たちが若い頃はこういうふうにしてきましたよという自伝的な漫画なんだけど、その中で、中野のそばの「哲学堂公園」で寺田ヒロオさんと、その主人公、満賀道雄ことA先生が草野球をやりましたというシーンが出てくるのね。いまだに僕らはその哲学堂で草野球をやるのね。そうすると、これは、ちょっと心の中で『まんが道』の世界に入った感じがするんです。まさにこの展示ってそういうことじゃないですか」

藤子不二雄Ⓐ「僕ら東京に出てきた時は、漫画がブームになって、僕らは先生と(?)描いてたから、6月に上京したんですけどね、注文が殺到したんですよ。どんどん引き受けてるうちにオーバーワークになって、その暮れにほとんど落としたんですよ。そうすると、新人が原稿を落とすということは大変なことで、業界用語で「干される」と。出版社から一切注文がなくなって、朝から暇なわけ。それで、哲学堂で野球チームあったんで、毎日、週に3回ぐらいやるんですよ」

伊集院光「F先生はどうしてたんですか?その時」

藤子不二雄Ⓐ「F先生は一切やらない」

伊集院光「これね、爆笑問題っているじゃないですか」

藤子不二雄Ⓐ「はい」

伊集院光爆笑問題ってね、若い頃に一回干されてるんです」

藤子不二雄Ⓐ「ああ、そうですか」

伊集院光「僕ら、ほぼ同期なんですよ。干されてる時に、太田は家に閉じこもってずっとネタを書いてたんです。田中、毎日、草野球をやってたんです」

藤子不二雄Ⓐ「似てるんですね。ははは(笑)」

伊集院光「はい。似てるんですよ!このコンビに凄い似てるんですよ。でも、その両方の性格が違ったから、もったんです。それでも乗り越えられたんですよ」

藤子不二雄Ⓐ「藤本も、僕が遊んでやってるのに文句は一回も言ったことない。初めはね、余りにも仕事を干されて仕事がないから、持ち込みをやろうかと。それで、短編描いて持っていった。女の編集だったんだ」

伊集院光「当時は珍しいですね。漫画の編集に女性」

藤子不二雄Ⓐ「それがまた高飛車に(伊集院(笑))いろいろ文句つけるわけ」

伊集院光「はいはい」

藤子不二雄Ⓐ「そうすると僕は「はいはい、はいはい」と言っているんだよ。藤本君というのはプライドが高いから、立ち上がって相手の手から原稿をもぎ取って「帰ろう」つってビューンて行っちゃった。僕は困っちゃって「いや、すいません、申しわけねぇ」とか言いながら帰って、「どうするんだ?」と言ったら「あんな持ち込みをするとこっちは気分が悪くなるからやめよう。そのうちあっちから言ってくるよ」っていって、半年、1年になると、ボツボツ依頼が来て戻ってきた。

その暇な時に僕は何をやっていたかというと、草野球と、あの頃コーラスというのが流行ったんだよ。ロシア民謡で」

伊集院光「はい(笑)」

藤子不二雄Ⓐ「僕なんかコーラスなんか歌も歌ったことないんだけど、でも、面白いわけ。女の子と歌を歌ったりね。非常に楽しい毎日を送って(笑)」

伊集院光「これは、本当にこれ凄いことが俺の中で起きてて、これ、爆笑問題と全く一緒なんだね」

藤子不二雄Ⓐ「ああ、そうですか」

伊集院光「今、俺の中で冷や汗が止まらないのは、「あんな売れっ子が干されてるぜ」って業界では評判なわけ。そんな中で、ある日草野球場に行ったら、田中裕二がグローブをバンバン叩きながら「俺、毎日草野球やれるんだよ」つって、「こいつ、ちょっとおかしいぞ」って思った」

藤子不二雄Ⓐ「ははは(笑)」

伊集院光「その場所が哲学堂

藤子不二雄Ⓐ「やっぱり哲学堂ですか。凄いね」

中村仁美「へえ」

伊集院光「凄くない?凄いことになってる。

でも、僕はいつも爆笑に言うのは、2人どっち欠けても多分(Ⓐ「ああ、まあ、そうですね」)残らなかったと思うし」

藤子不二雄Ⓐ「1人だとやっぱり落ち込んじゃう。2人いると楽になるというかね」

伊集院光「でも、同じ方向に落ち込んじゃってたら(Ⓐ「ああ、だめ」)もしかしたら実家帰ってたかもしれないし(Ⓐ「ああ、そうです、そうです」)同じ方向にはっちゃけてたら、藤子不二雄、コーラスグループになってる可能性ありますからね」

藤子不二雄Ⓐ「ははは(笑)そうですね」

 

 

 

伊集院さんとお話をされているA先生は陽の人で、藤本先生は陰の人という感じを受けるのに、描かれる漫画はその反対の印象なのが面白い。