店仕舞い

 

伊集院光とらじおと 2018年7月23日

 

神田松之丞「僕は、伊集院さんのラジオを、特に学生時代にずっと聴いてたんですよ。その時に、2時間生を今でもやり続けてるじゃないですか。あれが、なんというか、驚異的というか、2時間毎週、常にライブショーをやっているようなものですよね、ずっと。そんなになんで継続してそこまでできるのかなっていうのが。ちょっと僕、完全に司会者気取りで聴いてますけど」(笑)

伊集院光「乗るわ」

神田「番組、崩壊してるんじゃないかなと思いますけど」

伊集院「そっちにゲストに行く時は、逆やるよ。それで頼むよ(笑)。

1つは、録音の仕方がわからない。あまりに長く生をやり過ぎたせいで、録音すると、それは、何度もやってるんだけど、録音すると、今のとこ、違ったからもっかいやり直したいっていうのがずっと続くので、とてつもない時間がかかる」

神田「僕、逆なんですよ。なんでしょうかね、逆に生が怖くって、だって、これだって、今、本当に流れてるっていうような感じで喋ってないんですよ。僕の『問わず語りの松之丞』って、喋らせていただいているんですけど、あれ、何回も僕録り直すんですね。気に入らないと。伝統芸能の人間なんで。漫才の人って一発じゃないと嫌らしいんですよ。でも、あ、俺、あそこのとこ上手くいかなかったな。もう一回ちょっと視点変えて喋ってみよう、みたいなのを何個かやって、それ移植する、みたいなやり方をしているんですよ。だから、伊集院さんの、生が途切れずに、あのテンションで面白いことやるって、全然次元の違うことをやられてるなあと。でも、同時に、今……」

伊集院「いや、種類の違うことですよ。次元の違うことじゃない。種類の違うことだと思う。どっちが得意かっていう」

神田「ただ、今、あれじゃないですか。ネットで叩かれたりとか、揚げ足を取られるじゃないですか。生放送だと思うと萎縮しちゃって、僕、結構、録音だと思うと、後でどうせ切ってくれるだろう、みたいに思って。どうせ無名だからネットニュースにもあげられないだろうということで思い切り喋ると、うちのディレクターのトナミさんが普通にそのまま放送してたりするんですけど(笑)。でも、結局、線はこの人が最終的に責任を持つからっていうんで逃げられるし、今、ラジコのタイムフリーとかあるじゃないですか。そうすると、生放送の意義っていうのが、こういう朝の番組、情報番組は不可欠だと思うんですけど、笑いに関して言うと、絶対生のほうがいいとは思うんですけど、クォリティを高めるんだったら、何度も録り直してるほうがいいのかなってふうに勝手に思うんですけど」

伊集院「ああ、すごいわかる。言ってることはすごくわかります。わかるし、それとも戦うし、こっち側が深夜独特の、生でこっちも、ある意味、さっき言ったような意味で言えば、命がけである程度喋れる。タレント生命がブツッと終わるかもしれないことの快感に酔いながら喋るのに対して、眠い目をこすりながら聴くというこの関係性がベストだけど、だけど、聴いてる人からしたら、いやいや、あなた20年も番組やってて、こっちだっていい大人だよって。明日の用事あるし聴けませんという人の都合はあるわけでしょ。そうすると、それを強制もできない中で、俺が生でやる意味は何だ?っていうことになるんだけど、ゾクゾクするからっていうことや、ほかの楽しみ方をまだ知らないっていうことと、なんだろうね、できるっていうことだけが自分のプライドを支えてきた分、じゃあ、そろそろ下ろす時に、自分の失望感や老いを認めなきゃならないっていうのが絶対くるので。ただ、それは近いうちにきます。それは、本当にそんな長い間じゃなく、深夜は店仕舞いをします。それは多分限界がおそらくかなり近づいてるけど、その腐りかけが面白い。自分でもこんなことを言うと思わなかったというのが」

神田「そうですか。それは伊集院さんの中でも、昔とちょっと喋ってて違うなっていうのもあるんですか、それは」

伊集院「何十年もやると当たり前じゃないですか、みんな。みんな当たり前ってなってるし、自分も当たり前ってなってるから、あまりに予想もしなかったようなことは起こらないし、起きた時には、たぶんそれはタレント生命が死ぬという時になっちゃう可能性が強いので、たぶんそういうことにはなるんだと思う」