諦め

 

伊集院光とらじおと 2017年12月28日

 

伊集院光「旅行でもお仕事でもいいんですけど、今まで行った海外で、自分の中ででかかったところ」

森山未來「僕が個人的にすごかったのはペルーですね」

伊集院「ペルー、何があるんですか?」

森山「ペルーは、マチュピチュだったり、アンデスもありますし、そこの自然ですかね。24、5、6ぐらいで行ったんですけど。それも本当にプライベートで行ったんですけど。一人で。かなりショックを受けましたね」

伊集院「何に?何に? すいませんね。肉体表現の人に、言葉で「何に?何に?」が本当に野暮なことはわかってるんです。だけど、何ですか?そこの時に一番、ペルー、ドーンときた」

森山「ペルーって、アマゾンの源流ももちろんある場所だし、海岸沿いは砂漠地っぽい地帯でもありますし、でも、すぐ、いったら5000メートル級のアンデスの山脈が連なってて、とにかく自然の力強さというか、それがまず印象にきて、ネイティブの人たち、向こうにもともといた人たちの存在感とかを見てて、そういう自然の中で横たわって生きていかなきゃいけない人間というものの、いい意味での諦めというか、悲しみみたいなものが、僕はその旅している間、すごく受けて。

というか、僕自体がたぶん疲弊していたんですよね。なんか高山病っぽいのになったりだとか、言葉もあんまり通じない国だったんで、結構一人でフラフラフラフラしているうちに、パッと入ったホテルも水しか出ないとか、結構生活がちょっとしんどかったから、自分もちょっとナーバスになっていたというのもあったんですけど、その自分と、ネイティブな人たちを見てると、なんかこう、理解できるというか。

こんなに力強い雄大な自然に囲まれて、僕らは自然とか、そういうもののヒエラルキーのトップに立てるわけなんかないじゃないですか。淘汰される存在でもあるっていう。都市とかに住んでいると、そういうのってよくわからなくなるというか、人間て大体ヒエラルキーの一番上に立ちたがるから、そういうものをすごく再認識させられたっていう意味ですごくショッキングでしたね」

伊集院「その、諦めという。いい意味で」

森山「いい意味で」

伊集院「もっと言えば、いろんな意味での諦めってあるじゃないですか。ちょっとそこ響くのは、僕は関西弁の「しゃあないやん」という言葉が、標準語にすると「仕方がないですね」ということになるんだけど、それとちょっと違う。何かわかんないけど、仕方がないことでもあれば、ちょっと笑っちゃうようなところでもあり、ある意味運命的なことでもあり、みたいなのが3つ要素であって、僕は東京の人間だけど、かみさんは関西の人間で、「しゃあないやん」がすごい、あ、これはすごい感じのいい言葉だなっていつも思うんですけど」

柴田理恵「寛容な感じがしますよね」

伊集院「寛容な感じがする。諦めの方法なんだけど、たぶんペルーの人たちも、なんでこんな寒くて、高山で、空気薄いとこに住んでるんですか?ということに対して、そういうことなのかな。今、そういう感じで響いたんだけど」

森山「「しゃあないやん」という形ですよね、ある種(笑)」

柴田「雪国にも似てるとこありますね」

森山「そうそうそうそう。この前、山形で仕事をしてたんですけど、向こうで喫茶店に入っておっちゃんと喋ってたら、「“北国の人たちは忍耐強い”って言われるけれども、諦めが早いんだよ」って言ってて。「結局雪が降って積もったら、もう別にできることなくなっちゃうわけだし」とかって」

柴田「これ融けるまで、黙々とこう、やれることやるだけですもんね」

森山「雪かきするか、待つしかないからっていう。ああ、なるほどな。その違いはすごくあるなと思いましたけど」

伊集院「俺ら、雪がなければな、という話をしたり、これを機械によって何とかできないのかってなるんだけど、そこじゃないところで、たぶん何かやってたりとかするとか、楽しんだりしてるということ」

森山「そうですよね」

柴田「機械も限度あるからね(笑)」

伊集院「まあ、そうなんだけど。そっち側に尽力しているうちに寿命が尽きてきたりもするわけで、というね」