シアターDの思い出

 

佐藤満春in休憩室 2017年1月14日

 

佐藤「劇場というところで言うと、シアターDという、我々がデビュー当時からずっと使っていた劇場が、昨年末の11月かな?に閉館することになりまして、最後の最終月間みたいな時にライブに何個も誘っていただいたんですけど、ちょうどトイレの日やら何やらで一個も出れなかったんですけど。

我々が出てた時というのは、渋谷のセンター街にシアターDがある頃で、あれが何階だったかな。センター街バーッと真っ直ぐ行って、奥の黒い。印象ね。印象論だけで言うと、黒いビルの5階かなんかだったんだけど、下に焼き肉屋さんか何かがあって、非常にモクモクしていたイメージで。もともと道頓堀劇場っていうストリップの劇場かなんかだったんですよ。で、「シアターD」って言うんですよね。道頓堀劇場つったかな?

で、そこの支配人の息子さんがお笑い好きで、矢野ジュニアっていうね、知ってる人は知ってるかもしれないですけれども、方がお笑いの劇場を始めて、僕らがたぶん2001年にお笑い始めてるんですけど、1990何年とか後半ぐらいからたぶんシアターDができて、ある種お笑いの、吉本興業さん、吉本クリエイティブエージェンシー以外の東京の芸人の聖地っていうか、本当、あそこに出ることが最初は目標だったりもして、今ほどお笑い芸人ていう数がいなかったのと、今ほどお笑いライブっていうのがなかったんですよ。当時。だから、ライブに最初出るのも相当なオーディションを勝ち抜かなきゃいけなかったりとかしてて、シアターDのネタ見せとかも何回もあったもんね。

初めてシアターDのライブに僕自身が出たのは、大学生の時にトゥインクルコーポレーションていうラーメンズがいる事務所のライブのネタ見せに行って、僕、当時、お笑いサークル「ペペロンチーノ」っていう超巨大組織でやってましたから。ごめん、ウソついてた。7人か8人ぐらいの、全然大きくなかったわ。お笑い好きなメンバーで、7~8人いたんですよ。

その僕がリーダーなんですけど、演劇コントに憧れてたから、ちょっと劇みたいなことやったりとか、マックス8人、最少俺1人みたいな。コンビでやったりとか、トリオでやったりみたいなことをお笑いサークル「ペペロンチーノ」がやってて、大学のステージみたいなところでね、外でやったりとか、あと、その中のユニットで小さなライブハウスで出たりとかしてて、そこでたぶん「ペペロンチーノ」の誰かと何人かで出たのが一番最初だと思うんだよなあ。シアターDに関してはたぶん。

で、シアターDでネタをやるっていうこと自体が、それがどきどきキャンプを組む前だから、2000年ぐらいかな。なんか、シアターDでライブに出たという自体で一個成立してた部分もあって、お笑い芸人として舞台に立ったみたいな。あのシアターDで。

当時あれよ、『スペシャル☆オールスター』っていうシアターDの一番上のライブは、それこそ劇団ひとりさん、当時スープレックスだったかな、まだ。が出て、U-turnさんが出て、品川庄司さんが出てとか、ドランクドラゴンさんが出て、アンタッチャブルさんが出て、アンジャッシュさんが出てとかよ。今もう、テレビでほとんど活躍しているようなメンバーが普通に100人規模の劇場に出てたりして、当時からめちゃくちゃ面白くて、お客さんの人気も凄かったから、いつかあの『スペシャル☆オールスター』に出れるようになんなきゃいけないな、なんつって思いながらやってたもんですけどね。

その後、岸君とどきどきキャンプを組んで、東京のライブにいろいろ出るようになって、最初は、僕らは『バカ爆走!』という、新宿Fu-でやっている人力舎さんのライブのオーディションから始めて、そこで勝ち抜いて、何となく普通のライブに呼んでもらえるようになって、そこでライブシーンでちょっと面白いぞっていうことに印鑑を押してもらってから、シアターDの、最初『オールスター』だったかな、それか『スペシャル☆オールスタージュニア』みたいな、その下のやつだったかなあ、なんかがあって、出してもらって。ねぇ。だから、今、三拍子だ、磁石だとか、あの辺からずっと一緒ですよね。そのシアターDで育ったというか。ウケて、スベッてっていう歴史がずっと詰め込まれている劇場で。

その後、我々、ケーダッシュ入って。ケーダッシュに入る前にお試しで一回『裏ケイダッシュライブ』に呼んでもらった時に出たライブもシアターDだったし、その時にやったネタももちろん覚えてて、サラリーマンの、あ、違うわ。あれだ、エンタでやったやつだから、あれだ。コンビニに買い出しに行くネタをやったんですよ。その当時のマネージャーが見てくれて、別にうちでやるならやれば、ぐらいな感じで入れてもらったのが10年ぐらい前ですか。

そこから、センター街のシアターDが一回閉館になって、今の公園通りのほうに移って、公園通りのほうに移ってから、正直そんな出てないんですよね。その後やってた事務所ライブをそこでやったのと、あと、ちょっとした『お笑いフューチャーズライブ』とか。

 

あと、それこそ『裏ケイダッシュライブ』つって、オードリーの若林君とビックスモールンの真似をあそこでやったのも、たしか新しいシアターDだったと思うし、なんかいろんな思い出がありますけど、まあ、なかなかね、いなくなっちゃったということで、最後の最後、立ち会えなかっですし、もうどうしようもないんですけど、もうあんな劇場が今後出てくるとは思えないわけですよ。今後、我々がお笑い芸人を続けてて、ネタをやるにせよ、あんなに思い入れがある劇場って、ないですから、出てこないですから、どう考えたって。もしシアターDがこの後できたとしても、そこが僕らが立ってたシアターDじゃないってなっちゃうし、そう考えたら、なんかなくなったって言われてから思うと、一個だけ青春の証がなくなったなっていう感じはしますよね。

オールナイトライブもやったし、ハマカーンどきどきキャンプとオードリーで『グラッチェガーデン』ていうライブをやってて、それの1回目と2回目はたしかシアターDでオールナイトでやってるんですよ。

で、なんかわかんないけど、春日が原宿から渋谷の公園通りの劇場まで、なんかわかんないけどジョギングして来るみたいな企画があって(笑)、もう全然わかんない。で、なんか走ってくんだよ、勝手に。全然M-1とか獲る前のオードリーだから、その3組で言うと一番人気なかったの、オードリーが。ハマカーンが一番人気があって、俺らが次に。『虎の門』とか出てたから。で、オードリーが一番(笑)、なんていうか人気ないけど面白いみたいなことを言われてた。当時からね。

それで、なんか春日が走ってくる。で、もう全力でスカそうと思ってたんだけど、なんか感動したみたいな空気になって、拍手して終わったんだよな。なんだこのライブ!と思った思い出がある(笑)。

それもシアターDだしなぁ。なんか凄いよねぇ。あれがなくなっちゃったと思うと、非常にちょっとぐっとくるとこもありますけどね。

 

 

「平野の圧勝。」と題した春日氏のブログにも『グラッチェガーデン』のことが 。

 

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